月: 2018年10月の記事一覧
-
司馬さん一日一語☞『由布』(ゆふ)
ゆふ(木棉・由布)は 上代語で、 木の皮から繊維を とりだした布のこと をいう。 由布院の由布という言葉の意味には諸説があるようだが、木棉(ゆふ)であると決めこんでも、ほぼ間違いないように思える。 木棉は、今でいうもめん […]
-
司馬さん一日一語☞『友情』
「友情」 というのは 明治以後に 輸入した道徳だし、 概念であった。 この年(元治一年)、沖田総司二十一歳、近藤勇三十一歳、土方歳三三十歳である。 これに井上源三郎をふくめて、四人が、天然理心流宗家近藤周助(周斎)の相弟 […]
-
司馬さん一日一語☞『夜郎自大』
「夜郎自大」 という言葉が、 『史記』の 「西南夷伝」にある。 昭和の陸軍には、明治の陸軍に濃厚に存在した現実を計算する能力は、なかった。 兵にも国民にも精神主義を強い、「世界一の陸軍」であるかのように、みずからも錯覚し […]
-
司馬さん一日一語☞『弥生』(やよい)
紀元前三世紀ごろに 稲が北九州に伝来し、 紀元約三、四世紀に いたるまでを 弥生時代という。 江戸時代、このあたりは水戸藩の中屋敷で、町名などはなかった。 明治二年(1869)政府に収容されて、それでもなお名無しだった。 […]
-
司馬さん一日一語☞『山見』(やまみ)
古代から幕末までの 日本の航海術は、 「山見」(山見)と いわれる方法だった。 陸の景色(山々の姿)を見ながら船の位置を知って航海する沿岸航法だったのである。 明治以前の船乗りにとって、「山」というものの第一は、岬のこと […]
-
司馬さん一日一語☞『山伏』(やまぶし)
山伏は 不動明王を 尊崇する。 不動明王の絵像か彫像を背中の笈におさめて歩き、祈祷をたのまれると、この笈を地上にすえて壇とし、不動明王をかざり、密具をつかってそれをやる。 山伏はおそろしいばかりの験者(げんざ)としてとり […]
-
司馬さん一日一語☞『山』
平安期には、 「山」といえば、 叡山のことであった。 むろんこの場合は地理学上の地塊をいわず、地上の王権からときに独立する気勢を示すかのような宗教的権威を指し、かつは平安貴族の死生観や日常の感情に思想的な繊維質を提供しつ […]
-
司馬さん一日一語☞『厄介』(やっかい)
相続権のない 弟ぶんは、 江戸時代では、 士農工商とも、 「厄介」とよばれた。 山内六三郎は、江戸の人である。のち、堤雲と号した。 六三郎の父山内豊城は、旗本の用人だった。 旗本の用人は大名の家臣とはちがい、一般に渡りの […]
-
司馬さん一日一語☞『文様・紋様』
モヨウ・モンヨウ という ことばについて、 注釈ふうにふれて おきたい。 着物などの柄を“模様”とよぶのは古くからおこなわれてきたことばだが、しかし模様は“空模様”というように、大体の様子のことをいったり、あるいはしぐさ […]
-
司馬さん一日一語☞『主水』(もんど)
主水というのは、 古語である。 奈良・平安朝の ころの役職名で、 語源はモヒトリだ という。 徳川家康が江戸に入ったのは天正十八年(1590)。 その草創の最大の事業のひとつが、上水道を設けたことである。 その設計と施工 […]
-
司馬さん一日一語☞『桃』(もも)
桃の実も桃の木も、 中国の古代信仰 —道教—のなかで、 魔よけの呪力のある ものとされている。 この桃の実の呪術性については日本の古代にも影響されていて、『古事記』『日本書紀』の神話にまでその痕跡 […]
-
司馬さん一日一語☞『木綿』(もめん)
モメン(木綿) という この植物繊維の 王者とも いうべきものが、 日本に古来あった わけではない。 戦国期から、きちょうなものとしてほんの少数の武将たちに用いられはじめたのである。 説明的には、平安初期に三河の海岸に漂 […]
-
司馬さん一日一語☞『名人』(めいじん)
名人ということばは 漢語にもあり、 盛名あってすぐれた人 をいうが、 日本ではふつう 技芸にすぐれた人を いう。 鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』※の文治二年四月八日のくだりに、頼朝とその御台所政子が、義経の想女であっ […]
-
司馬さん一日一語☞『物の怪』(もののけ)
物の怪とは、 たとえば鬼や狐狸や その他の怪物のような 実体のあるものでは なかったようだ 源氏物語を読まれてご存じのように、平安期の文学や説話には「物の怪」(もののけ)からの恐怖が、どれを読んでもこまごまとしるされてい […]
-
司馬さん一日一語☞『牧谿』(もっけい)
牧谿は、 南宋末の禅僧である。 水墨画をよくし、とくに浙江省の地(じ)の絵画ともいうべき撥墨画を描いた。 線を用いず、墨の濃淡という色面だけで描くという方法である。 この点にかぎっては、西洋の画法と似ている。 伝統無視の […]
-
司馬さん一日一語☞『紫野』(むらさきの)
紫野とは、 染料の紫をとる 紫草がはえている 野をいう。 袖を振るというのは恋のしぐさだったそうで、『万葉集』にも、集中第一の才女額田王の歌が出ている。 あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る (巻第一、二〇 […]
-
司馬さん一日一語☞『無常』(むじょう)
つまり 一定のままではない ということですね。 天然の無常※というのは、いい言葉ですね。 つまり、大思想によっては教えられなかったかもしれないけれど、既にあったもの、そういう意味ですね。 この日本列島に自然に湧いて出た、 […]
-
司馬さん一日一語☞『民族』(みんぞく)
国家は 後からやってきた ものだが、 民族は それ以前から 存在した。 というより太古から存在したという神秘的な錯覚が、どの民族にもある。 さらにいうと、単に人間というにすぎないこの存在が、民族文化を持つことによって&# […]
-
司馬さん一日一語☞『源姓』
平安初期、 天皇家の財政が困窮し、 多くの皇子たちを養って ゆけなくなった。 そういうことから 「源」という姓が 創設された。 弘仁五年(814年)嵯峨天皇のときで、多くの皇子皇女に「源」姓を持たせて臣籍にくだした。臣籍 […]
-
司馬さん一日一語☞『湖』(みずうみ)
いったい 湖という日本語は 明治以前には なかったのでは ないか。 LAKEという外来語が入ってきてその翻訳語としてミズウミという日本語ができ、大正期を経て定着したのではないかとおもわれる。 われわれが湖とか湖畔とかいう […]
-
司馬さん一日一語☞『巫女』(みこ)
巫女、 これはつねに 野(や)にあって 独行した。 仏教は奈良朝のころに形をととのえるのだが、固有の信仰は巌の下の木賊かなにかのように、地下茎をはびこらせつつ生き残った。 巫女、これはつねに野(や)にあって独行した。 多 […]
-
司馬さん一日一語☞『まほろば』
“まほろば”が 古語であることは、 いうまでもない。 日本に稲作農業がほぼひろがったかと思われる古代—五、六世紀ころだろうか—大和(奈良県)を故郷にしていた人—伝説の日本武尊̵ […]
-
司馬さん一日一語☞『洞が峠』
順慶は 日本語の語彙を 豊かにすることに 貢献した。 天正十(一五八二)年、信長は本能寺で光秀に討たれた。 当時、秀吉は備中にあり、軍を大返しに返して山城の山崎で光秀軍と対戦した。 このとき、戦場にちかい大和にいる筒井順 […]
-
司馬さん一日一語☞『ほどのよさ』
この当時 (織豊時代)の 「ほどのよさ」 というのは その後のいい加減、 という 意味でなく、 出しゃばらない、 という 意味であった。 長宗我部盛親は性格が温厚で、口数がすくなく、おのずから長者の風のあったために、大坂 […]
-
司馬さん一日一語☞『渤海国』
むかし 満州(いまの東北)に 渤海国という国が あった。 713年に興り、わずか二世紀余でほろんだ。 この国の民族は漢民族ではない。 日本人の遠縁になるかもしれないツングースであり、東洋史の用語では扶余族である。 ついで […]
-
司馬さん一日一語☞『卜占』(ぼくせん)
上代日本語では 卜占をウラという。 ウラを活用させてウラナフ、ウラトフ、ウラフ、ウラハフといったりするが、ともかくも卜占(ぼくせん)は古代世界の科学であった。 専門の神道者(かむなぎ)がこの術を用いたが、かれらの奇妙さは […]
-
司馬さん一日一語☞『判官びいき』
江戸期の庶民が、 判官びいきという ことばをつかった ときの判官は、 いうまでもなく 義経のことである。 しかし忠臣蔵の塩冶判官にもどこか通じさせてこの熟句をつかっていたのであろう。 兄の頼朝にいじめられたり、梶原にざん […]
-
司馬さん一日一語☞『方外』(ほうがい)
方外とは浮世のそと という意味で、 極端にいうと、 この世に存在せぬ者 ということである。 江戸時代、将軍にじかに接する職として、儒者、医師、絵師などのあつかいを特殊なものにした。 方外とは浮世のそとという意味で、『広辞 […]
-
司馬さん一日一語☞『弁財天』
弁財天(弁天)は、 もとは インドの土俗神 だった。 ガンジス川など大河を象徴する神で、ひょっとすると蛇への古代信仰の発展したものだったかもしれない。 女神である。 琵琶を弾いている。 元来が河神であるために、日本では琵 […]
-
司馬さん一日一語☞『べに』
べにという日本語は、 古くはあっても もっぱら紅をべにと 言いなじむのは、 室町ごろからでは ないか。 『万葉集』のころは、べにといわず、くれないとよんでいた。 その植物およびその色を指す。 語源はたれもが想像できるよう […]
-
司馬さん一日一語☞『分際』(ぶんざい)
分際・分という ものさえ 心得ていれば、 世の中は大過なく 送れるように なっていた。 分際とは、封建制のなかで身分ごとに(こまかく分ければクラスの数が千も二千もあるはずである)互いに住みわけてゆくための倫理的心構えもし […]