司馬さん一日一語☞『寺』(てら)


「寺」という文字は、
仏教渡来以前から
存在した。

古代には、むろん神社はない。
ただ威霊が宿ったり降ったりする場所を清らかにしておくだけだった。
人口のものがあったとすれば、清浄の場所をしきるしめなわぐらいのものだろう。
「神にも、家が必要ではないか」と考えるようになったのは、仏教が伝来してからである。
当時のひとびとは、仏像たちが家に住んでいることに驚いたのである。
仏教が中国に入って最初にできた寺が、白馬寺であるとされている。
洛陽城の西郊にいまものこっている。
ときに、後漢の明帝のときであった。明帝はべつに仏教主義者ではなく、ただ伝説としてその晩年、夢に感じてはじめて西域から仏教を招致させたといわれる。
しかしながら、新来の仏教にふさわしい建物が考案されたわけではなかった。
「寺」という文字は、仏教渡来以前から存在した。
“役所”あるいは“役所の建物”という意味だった。
役所といっても、規模の大きな官庁建造物だったにちがいない。
「寺をつかおう」と、後漢の役人たちは、ひるみもなくそうおもったのである。
官衙崇拝性のなか、西方からの神聖なものが憩う場所として官庁建造物以外考えられない。
白馬寺は、おそらく新築ではあったものの、官庁建築を建てるつもりで建てたものにちがいない。

やがて日本に伝わる。
伝わったのは、公式には欽明天皇の十三(552)年とされる。

「仏の相貌(かお)は、きらきらし」と、『日本書紀』は欽明がいった感想をつたえている。
まず彫像におどろいたのである。
それまでハニワ程度の写実能力しかもっていなかった日本人としては、仏教は教義以上に、芸術上のショックだったのであろう。
やがて積極的に造寺造仏がおこなわれるようになるが、源流のインドにおける伽藍のありかたを知らないため、中国ふうの官庁建築こそ寺であるとおもい、それをさかんに建てた。
「唐の長安の官庁の建物を知りたければ、日本の奈良にいらっしゃることです」と、私は中国のひとによくいう。
とくに唐招提寺にいたっては、唐代の役所そのものであるかのような感じさえする。

☞︎出典:『街道をゆく』26
嵯峨散歩、仙台・石巻(朝日文庫)

 

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