司馬さん一日一語☞『軽忽』(きょうこつ)


室町時代には、
「軽忽」という言葉を
かるはずみということ
ですが、日常的に、
人によったら日に
二、三回ほど使ってた
ような多用言葉だった
ようですね。

その言葉が「閑吟集」には、
誰そよお軽忽 主あるを をしむるは 喰ひつくは よしゃ戯るる
とも 十七八の習ひよ そと喰ひついて給ふれなう 歯形のあれば
顕るる

要するに戯れにきた男があるんですね。
主ある自分を抱きしめてきた。
歯形だけはつけてくれるな、
人に知られるから、と。

こういうおおらかさというのは、
ちょっと脱亜的、しっかりした
儒教社会では、歌謡として表向きに出ることはない。

儒教というのは、リゴリズムな面は孝のほかは貞操だけです。
他の種子がまじると違う子供が生まれるといことは、
家畜が周りにいる社会では、現実的に知っているんですね。
だから、人間はそれをしちゃいけないーーー非常に貞操をやかましくいう。

けれど、日本は動物が周りにいないものですから、
女にやかましく貞操をいわない。
その気分がよく出ている。

 

☞(「中世歌謡の世界」から)

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