司馬さん一日一語☞『標準語』


標準語というのは
いつごろできたので
あろう。

「左様でござる」と、歌舞伎などで武士がいう。
江戸落語で武士を演出する場合も、四角ばって、たとえば「岸柳島」で武芸自慢の侍が、「尊公も両刀をたばさんでおられるなら、むざと手をつかねて拙者に斬られもいたすまい。さ、真剣の勝負をさっしゃい」(円生全集)と同舟の武家のご隠居にからんでくる。
拙者左様、尊公シカラバという言いかたが、江戸時代の武士の標準語というものであろう。
ところがすべての武士がこんな言葉をつかっていたのではなく、芸の世界で武士を演出しようとして、前掲のような言葉をつかわせると、アアいまのは侍だな、ということがたれにでもよくわかる。
といって個々のナマの武士がこういう、まるで社説のような文章言葉を日常使っていたわけではなさそうであり、かといって架空の言葉でもない。この間のあやち(区別)がややこしい。

それよりも、一体、標準語というのはいつごろできたのであろう。

普通いわれているのは、維新後、江戸山ノ手の旗本屋敷でつかわれていた言葉が主軸になってできたという。
ところが、左様でござりまする、が「ソウデス」と、簡略された。
両親の呼びかけを父上様・母上様というと大層おもおもしいために、オトウサン・オカアサンという、日本史上、どの時代のどの地方にも存在しなかったふしぎな言葉があらたに造語された。
要するに、明治後、小学教科書編纂のしごとがすすむにつれて、標準語ができあがって行った。
と、普通いわれている。
しかし日本語に標準語ができあがったのは明治からではなく、もっと前の室町時代であるようにおもわれる。

「室町言葉」が、標準語であったようである。
京に政治の中心をおいた室町幕府は、在郷の武家という本来粗野な存在に対し、行儀作法を強制することによってその野性の猛気を抜こうとした。
いわゆる小笠原式という武家礼法が政権の意思でつくられたのも、この時代であった。
この室町礼法がすぐ京から地方の守護大名に普及し武家貴族である以上、この礼法を身につけていることが第一条件のようになった。
礼法には、当然、ことばがついてまわる。
礼のある言葉が、礼法の家元である小笠原家や伊勢家によってつくられ、普及した。

このことばが、前掲の江戸武士の標準語の原形であったであろう。
徳川幕府も、この礼法を必要とした。家康は京から小笠原経直をよんで徳川家の礼式をつかどらせた。

☞出典:「余話として」(文藝春秋)

 

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