司馬さん一日一語☞『黒鍬』(くろくわ)


戦国期には、
諸大名は戦闘員のほかに
こういう(黒鍬)
労働力をもっている。

合戦がすむと飛び出して行って死体を片づけたり遺棄兵器を始末するなど、戦場掃除をするのである
平時には城普請などの非技能的労働にも従事する。
戦争がはじまると予定戦場への道路を見に行って道路が大部隊の通過に適しないという場合は大いに鍬をふるって道普請をする。
ついでに敵情偵察もし、放火もする。ふつう戦闘に加わることがなく、身分上でいえば最下級の戦闘員である。
足軽よりもずっと下である。
その補充は、足軽の場合と同様、領内の農民から希望者をとってゆく。ときにむりやりに徴発されるという場合もあったにちがいない

もっとも、「穴太(あのう)の黒鍬(くろくわ)」といって、
近江のびわ湖のほとりの一集落に定住しているひとびとをさす場合もある。
この黒鍬衆は石垣作りに長じ、戦国後期になって城が石垣をめぐらすようになってから諸国の城普請にやとわれて行ったりした。
信長の安土城の石垣も穴太の黒鍬がきずいた。
秀吉の大坂城の石垣も、
おそらく穴太の黒鍬のしごとではなかろうか。

 

出典:︎『歴史のなかの邂逅』2(中央公論新社)

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