司馬さん一日一語☞『正義』


正義という
人迷惑な一種の
社会規範は、
幕末以前には日本に
なかったといっていい。

当時(幕末)の日本人は、知識人でも日本史の知識をいまの中学生ほども知っていなかった。
通史といえば『日本外史』一冊きりなのである。『日本外史』には『史記』に見られるような事実認識の精神はない。
宋学イデオロギーをひきうつしたような価値観でつらぬかれ、宋学的尊王と宗学的攘夷が歌唱のようにうたいあげられている。
日本中が、ペリー・ショックの戦慄的な危機意識のなかでこの書を読み、鋳型にはめたような尊王攘夷家になった。
「志士」としての近藤勇も『日本外史』の愛読者で、ファンであるあまり、書まで山陽にまねた。
かれが新選組をおこすについての正義は、『日本外史』的昂揚のなかから王城の治安をまもるというところにあった。
ついでながら、正義という人迷惑な一種の社会規範は、幕末以前には日本になかったといっていい。
言葉も、幕末に日本語になった。

正義という多分に剣と血のにおいのする自己貫徹的精神は、善とか善人とべつの世界に属している。

正義という電球が脳の中に輝いてしまった人間は、極端に殉教者になるか、極端に加害者にならざるをえない。
正義の反対概念は邪義であり、邪義を斃さないかぎりは、
自己の正義が成立しようもないからである。

中国にも朝鮮にも正義という思想は古くからその官僚世界にあり、ひとつの「正義」を共有する者たちが他の「正義」を共有する者を邪義として打倒すべくたがいに朋党を組み、惨烈な党争の歴史をくりかえしてきた。
西洋ではいうまでもない。
正義の女神は盲信性をあらわすためかどうか顏は目隠ししている。
片手には正邪の判定のための秤をもち、別の手には邪をたおすための剣がにぎられている。
政治的正義のおそろしさを、この目隠しと秤と刃ほど端的に象徴しているものはない。

近藤は、その幾種類かの正義の士の人になった。

 

☞出典:『ある運命について』(中央公論社)

 


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