司馬さん一日一語☞『安堵』


中世の日本人にとって
もっとも重要な
法律用語の
ひとつであった。


京都の天皇と公家たちをもって、
「公」とし、
公の名で日本国の土地と人民を独占したのは奈良・平安朝の律令体制で、最初から無理があった。
この体制の前提は社会は発展せぬものとし、人間は機械的に労働しその結果を収奪されても物のように無感情であるとして成立しているもので、当然ながら大崩れに崩れるときがくる。

自家の開墾田についての所有権を認めるという運動が、平安後期の武士の勃興という形で起こり、

京都とは縁を断ちきって武力でもって土地所有を守り、
その所有権をそのいちいちを確認してやるという勢力として
鎌倉幕府が成立した。

室町幕府が、同様の機能をひきついでゆく、その所有の変質のなかで、「安堵」(あんど)という概念と内容が成立する。
鎌倉・室町の幕府機構のなかに、
もっとも重要な部局として安堵奉行というものがあった。

さらには「汝の所有を確認した」という旨の安堵状も発行された。
安堵とは本来、語意としては
その堵(かき)に安んぜしめるということだが、

ともかくも法律語としてこのことばがいかに重かったか、
以上のことでほぼ察しがつく。

☞出典:『街道をゆく』12
十津川街道(朝日文庫)

 

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