司馬さん一日一語☞『分際』(ぶんざい)


分際・分という
ものさえ
心得ていれば、
世の中は大過なく
送れるように
なっていた。

分際とは、封建制のなかで身分ごとに(こまかく分ければクラスの数が千も二千もあるはずである)互いに住みわけてゆくための倫理的心構えもしくはふるまいのことで封建制を構成する為の重要な倫理要素だと私は思っている。
『広辞苑』では『太平記』の文例をあげ「敵の分際を問ふに、—和田が勢ばかりわづかに五百騎にも足らじと」ということで「程度。(数量の)ほど」という意味を第一の語義としている。

『太平記』が成立する室町期には以下の第二の語義がまだあらわれていなかったのであろうか。
江戸封建制が精密化してゆくにつれて、分際は「身のほど。分限。身分」という内容のみにつかわれ、津々浦々あらゆる階層の人々にあらゆる場所で日常的につかわれた。
人を説諭するとき、自らを戒めるとき、このことばは欠くべからざる倫理用語として頻用された。
分際・分というものさえ心得ていれば、世の中は大過なく送れるようになっていた。

さらに考えると、江戸期の分際という倫理は、人間の普遍的美徳である謙虚、謙遜、恭しさというものを生み、ついにはときに利他的行為までを生むほどの力を持った。

同時に強烈な副作用として日本人に卑屈さを植えつけた。
身分と分際の社会である江戸期で、それらを超越することができる道がわずかながらひらかれていた。
たとえば、武術と学問であった。
身分制という社会は、その無数に段階のある大小の巣箱に棲む人間にとって、分際という触覚をうごかして小動物のように身をちぢめているかぎりじつに住みやすい。
分際の感覚のない生きものがその巣箱へまぎれこんでくるとき、箱に住みついている生きものは爪、牙、針、臭気といった小さな武器を総動員して闖入者に対しおのれがいかに分際知らずであるかを思い知らせるのである。
いけず・いじわるという武器は分際の巣箱に住み分けて安住している生きものたちの欠かせないものであった。

☞出典:『ある運命について』(中央公論社)

 

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