司馬さん一日一語☞『おこし』


菓子としての
おこしの歴史は、
よほど古いかと
おもわれる。


材料の飴は、すでに『日本書紀』の神武紀に出ていることから
みると、よほど古いらしい。
むしろ飴をつくることは、縄やわらじなどと同様、稲作文化のなかにセットとしてふくまれてきたと考えていい。

十三世紀の成立とされる『古今著聞集』のなかに、隠居して「法性寺殿」といわれた関白藤原忠通が、元旦、娘である聖子のところにあそびにゆき、菓子としておこしが出た、というくだりがある。
聖子は、中宮であったから、忠通も衣冠束帯してかしこまっている。
ともかくも、平安貴族の代表である関白が、后のところへ伺候して
出される菓子がおこしだったのである。

おこしの格の高さから考えて、平安時代の代表的な唐菓子のひとつだったのではないかとおもわれてきた。
すると、やはり発明元は中国かとおもったりしているうちに、
『大漢和辞典』の「おこし」の項をひいてみた。
なんと、おこしに相当する漢字が、七種もある。
これだけで、この菓子の実家(さと)がわかったが、
いつごろ日本に入ってきたのか、よくわからない。

☞出典:『街道をゆく』17
島原・天草の諸道(朝日文庫)

 

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