司馬さん一日一語☞『勧進』(かんじん)


勧進は本来、
社寺の建立・修繕など
のために大衆から金品を
あつめる行為をさし、

この行為の伝統がなければ、
たとえば奈良の大仏殿も大仏もこんにち存在しないのです。
同時に、勧進の意味が変化し、
大衆の前で芸能を演ずるということをもさすようになりました。

☞出典:『司馬遼太郎全舞台』(中央公論新社)

源平の争乱がおこったとき、清盛の子の重衡が奈良に乱入し、
反平家の衆徒がこもる興福寺や東大寺を焼いた。

東大寺の官僧たちは、在野の名僧(重源)に再建募金のための
「大勧進」を委嘱した。

この時代、仏像は金鍍金されねばならない。
それには黄金が必要だった。黄金は奈良朝以来、陸奥から産する。

重源は、奥州の藤原氏に黄金の寄進をもとめるには、
歌人として名声の高い西行に行ってもらうしかないと考えた。

ついでながら、勧進(かんじん)ということばについてである。
後世、門に立ち物乞いをする類いのふるまいをさすようになったが
まだこの十二世紀末は原義どおりに「人ニ勧メテ仏道トイウ善ニ進
マシムルコト」の語感に近かった。現実には社寺の復興のために
ひろく募金活動をする。

 

☞出典:『街道をゆく』42
三浦半島記(朝日文庫)

 

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