司馬さん一日一語☞『居留地』


居留地(租界)は、
強力な外国が、
統治力の脆弱な国との
あいだでむすんだ条約
によって成立した。

神戸は西暦一八六八年一月一日に開港し、都市化した。
最初は、港の港長までも御雇外国人の英国人だった。
さらに海岸の砂地に外国人居留地ができ、やがて山手に雑居地が
成立して、都市としての原形をなした。
この点、祖型は、外国人がつくったにひとしい。

当初、県令や県官などはともかくこの新都心にやってきて働く日本人は外国人を主人とするか、かれらの貿易の水揚げや船舶業務の利益のおこぼれをもらうことによって衣食するひとが多く、水位として、海外の慣習や文化の影響をうけやすかった。
居留地(きょりゅうち)といえば、日本ではハイカラにきこえる。
中国では租界(そかい)という。「租界」には、中国側にとって陰惨な語感がある。どちらもおなじ意味・内容なのだが、陰翳の相違は両国の近代史のちがいといってよい。

居留地(租界)は、強力な外国が統治力の脆弱な国とのあいだでむすんだ条約によって成立した。
最初のものは、一八四二年、英国が清国とのあいだにむすんだ南京条約で、港市の開放と、開港場における外国人の住居権と貿易権を保証するものであった。
むろん、不平等条約である。

その後、わずか十六年経った一八五八(安政五)年、日本の幕府が諸国とのあいだにむすんだ安政条約も、南京条約が原形になっており、居留地成立の法的基準になっている。
それらの不平等条約は、日本では明治三十二年に廃止され、中国では第二次世界大戦後、五大戦勝国の一つに列したことによって、廃止された。

 

☞出典:『街道をゆく』21
神戸・横浜散歩、芸備の道(朝日文庫)

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