司馬さん一日一語☞『助勤』(じょきん)


助勤とは、
幕末の京における
新選組の組織上の
用語のひとつ
なのである。

新選組は、組織としては、前例のないしくみになっていた。
組織の長は、いうまでもなく近藤勇であった。
近藤は、組織上、超然たる存在だった。
副長である土方歳三ひとりが近藤を補佐する。
その副長土方の下に、戦闘組織がある。
土方の幕僚は何人もいて、その職名を「助勤」とよんでいたのである。
助勤は土方に対してはスタッフながら、それぞれ配下の隊士を指揮し、剣戟争闘の修羅場にのぞむ。

この機械のように巧妙な組織はおそらく土方が考えだしたものかとおもえるが、そのきめては、助勤という職であった。
戦闘上の指揮権は助勤がもつが、戦略上の指揮権は諸隊の上にある土方がもつ。
土方の指導権は近藤にあるというぐあいになっている。


私は、以前、“副長助勤”ということばの来歴について調べあぐねていたことがある。
助勤は、国語辞典にも漢和辞典にもなかった。

結局、助勤が昌平坂学問所のみに存在した内規上の用語だったことを知った。
幕臣の子弟は寄宿寮に入る。
陪臣(諸藩の士)は、書生寮に入る。
書生寮はみごとな自治制で、書生たちのあいだで“役掛り”がきめられるのである。
舎長は自治会会長とおもってよく、その会長を補佐する者として、「助勤」が二人いたのである。
出羽の人清河八郎は、安政元年ほんの一時期ながら、書生寮にいた。
「助勤」という用語が新選組に流入したのは、この清河を経たのではないか。

清河が、新選組の前身の新徴組の組織者のひとりだったことをおもえば、この連想はほぼまちがいなさそうである。

☞出典:『街道をゆく』36
本所深川散歩・神田界隈(朝日文庫)

 

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