司馬さん一日一語☞『韓非子』(かんびひ)


徳という、
儒教にあっては
輪郭不鮮明なほどに
大きなものを
「韓非子」にあっては、
単に損得の得にされてしまう。

「いい君主にとって、臣下を制御する上で、二本の柄だけをもっている」(「二柄篇」)と、
まことに露骨である。

鍋をつかむのにも、柄が要る。
臣下の柄の一本は刑罰の存在でもっておびえさせることだという。
他の一本はほうびでよろこばせることだ、というのである。
儒教からいえば君主は徳そのものであるべきであるのに
「韓非子」(かんびひ)ではわざわざ定義を限定して
「慶賞これを徳と謂ふ」と、まことに機械学的である。
「愛というものをおそれよ」というくだり(「愛臣篇」)もある。
愛という精神生活におけるもっとも基本的な感情は、
キリスト教では高度に倫理化されたが、儒教や仏教では
多分になまな感情(とくに仏教では)と見られている。
「韓非子」にあっては、
君主のもっとも警戒すべき感情であるという。
寵臣を寵愛しすぎると君主を危うくする、
また寵姫への愛は君主の嫡子を危うくする、と権力における
愛の機能をそのように説く。

美人を論ずるのに「韓非子」は
解剖学的に見るのではないかと思えるほどの態度であり、権力と
その行使対象を論ずる場合も、
生理学や病理学的に見ようとする。
人間についてどういう幻想も抱かず、若いころの師といわれる荀子
の性悪説や唯物論的思想を基礎思想とし、
法家でありながら
在来のそれに満足せず、法に加えて操縦術こそ大切だという。

 

☞出典:(わが「韓非子」)から

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