司馬さん一日一語☞『浮浪人』(ふろうにん)


国家からの
逃亡者であり、
それらを、
当時の公用語で、
「浮浪人」と
よんだ。

七世紀の律令制のころの公民は、どう潤色されようとも、農奴という本質意外のなにものでもない。
かれらは—といっても私どもの先祖だが—法によって公田に縛りつけられているというだけでも機械のように非人間的な扱われ方である上に、租・庸・調とよばれる国家による搾取がたえがたかった。
たまりかねて公田から逃げだす者が多かった。
国家からの逃亡者であり、それらを、当時の公用語で、「浮浪人」とよんだ。
浪人ともよばれた。
ちなみに、江戸期、武家奉公人から召し放された者は公用語として「浪人」とよばれたが、これも、時代によるコトバの内容の変化である。

平安時代のある時期から、畿内の公田から逃亡した者の多くがはるかに関東へゆき、それが流行のようになった。
関東はまだ大規模に未開の原野がのこっていて、いくつかの水系に、雑多な出身の者がとりついて鍬をふるい、灌漑土木をおこして水田をつくりつつあった。
浮浪人たちはその労働力としてみずからを売ったり、あるいは開墾主になったりした。
それらが、平安末期に武士化し、やがて源頼朝を擁して、土地の私有権を大原則としてかかげる鎌倉幕府をつくるにいたるのである。

☞出典:『街道をゆく』27
因幡・伯耆のみち、檮原街道(朝日文庫)

奈良・平安朝の用語でいう「浮浪」。
律令国家のもとでの生きづらさからのがれるべく多くの農民が故郷をすてた。
かれらは浮浪・浪人などといわれた。そのうちの力ある者が、当時、荒蕪にちかかった関東に流入し、新田をひらいて、いうところの「武士」になった。
ロシアの場合、ロマノフ王朝とロシア正教で統御された農業的な広域社会は、コサックを生んだ。

☞出典:『菜の花の沖』(文藝春秋)

 

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