司馬さん一日一語☞『蝦夷』


奥州王朝の
最後の光芒を
放ったものが
いわゆる
藤原三代であり
その首都が平泉である。
中央の貴族たちは、
これを「蝦夷」
とよんだ。


われわれの日本史のなかでは白河以北のいわゆる「奥」は
ながいあいだ独立国であった。
その関門をなす白河の関は、たとえば中国の居庸関のようであり、その意味でこの関の名は遠い昔、中国にもきこえていたという。
この関をやぶって奥州を中央政権の統轄下においたのは源頼朝であったが、それ以前はこの広大地帯はこの地帯から自立した王者によっておさめられていた。
そのいわば奥州王朝の最後の光芒を放ったものがいわゆる藤原三代
であり、その首都が平泉である。
中央の貴族たちは、これを、「蝦夷」(えぞ)とよんだ。
当時の中国風でいえば北狄である。
有史以来、幾度か中央政府に対して反乱をしたが、数度の討伐と血液の同化によってしだいにおだやかになり、源平のころには蝦夷という語感には異人種という意味がうすれ、
「王化に浴せぬ東陬(とうすう)のいなかもの」というほどのものにまでなっている。
それでも白河の関の扉は固く、奥州藤原氏は中央の律令体制とは別個の独立圏をなしていたし、その中央との関係は、黄金を献ずる(貢金・貢馬)という属国の体裁をとっている。

☞出典:「歴史の中の日本」中央公論社

 

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