司馬さん一日一語☞『聖』(ひじり)


日本の中世の
聖たちは、
こんにちの
日本の大衆社会の
諸機能をすでに
備えていた。

言葉というのは、本来なりさがりたるものらしい。
とくになまな現実感覚を超えてしまった尊称というのは、ひどく下落することがある。
たとえば、聖(ひじり)という言葉である。
室町期では、宗教を売り物にする乞食同然の者という語感をひとびとに持たせた。
高野聖がその代表的なものであろう。
かれらは「聖人」ともよばれた。
聖人(しょうにん)にうかうかと宿を貸すと娘の操を奪られてあとで吠面をかくことになる、というのは室町の乱世の在郷の者たちが互いにいましめあった心得であった。
言葉の下落も、ここまでくると痛烈というほかない。
高野聖は、数人が群れて回国する。
「洛中洛外図」などを見ても、旅をする聖たちが、どこへ行くのか杖を持ち、背を曲げて歩き進んでいる。
かれらは聖であるという証拠として亀が甲羅を背負うようにかならず笈を負う。
笈(おい)の中には経文や弘法大師の像などが入っていて、村々で逗留しては加持祈祷をしたりして米銭を得る。
高野聖は僧形をしている。
しかし正規の僧ではない。

正規の僧というのは、律令以来、国家がその資格を認定し、国家が扶持する得度者をいう。

私度僧(しどそう)というのがあった。
私的に得度して僧になるものをいい、官僧が貴族相手であるのに対し、民衆に養われて民衆相手の仏果を説く連中になった。
平安末期に、死後極楽にうまれたいという阿弥陀信仰が流行するとともに圧倒的に多数の私度僧が念仏をとなえてまわることになった。
そのころから「聖」ということばが定着した。
ともかくも日本の中世の聖たちは、こんにちの日本の大衆社会の諸機能をすでに備えていた。
ときに小説家のようであり、ときに新聞、テレビ、ラジオの機能をもち、ときに広地域の商品販売者であり、ときに思想の宣布者であり、ときに社会運動家のようでもあった。

☞出展:『街道をゆく』9
信州佐久平みち、潟のみちほか(朝日文庫)

 

おすすめ記事

 

 

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で