司馬さん一日一語☞『金平糖』


この南蛮菓子は
日本にキリスト教を
もたらした
聖フランシスコ
・ザヴィエルの
置きみやげだという。

芥子粒(けしつぶ)に糖蜜(とうみつ)をしみこませ、
いったんはかわかし、次いで熱をくわえると、
芥子粒に内蔵された糖分がふつふつと吹き出し、ついにはいくつも角が出て金平糖になる。

金平糖を割ると、一個の小さな空虚(あな)があいている。
もとの芥子粒は影も形も消えうせて芯に一個の空虚をのこしているだけである。
この一個の空虚がなければ、思想というものはできあがらないであろう。
ザヴィエルがもたらした南蛮の唯一絶対の神も、その思想の真只中にあいた一個の空虚にちがいない。
その空虚を懸命にうずめようとしてきたのが神学だが、
もし神はあるかないかという平俗な(相対的な)次元にひきずりおろせば、たれも神学などはやらなかったにちがいない。

神は絶対として存在するというただ一個の空虚—もっとも高貴なウソを—なんとか近似値にまで埋めつくすべく、地上の材料—言葉、論理—でもって巻きに巻いて行った営みが神学というものであろうか。

☞︎出典:『街道をゆく』21
神戸・横浜散歩、芸備の道(朝日文庫)

 

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