司馬さん一日一語☞『花器』


ちかごろの花器は、
自己主張のアクが
つよすぎるのでは
ないか。


花器は「用」をはなれて存在しない。

花を活けてはじめて花も生き己も生きるというハタラキが「用」の精神というべきものだが、若い意欲的な陶芸家にはこれが満足できないらしい。
花を押しのけて自分を主張しようとする。
独断をいうようだが、陶芸家というものは自己主張が働くかぎり、いい作品はつくれない。
その点、絵画や彫刻などの純粋芸術とは異なっている。

陶芸は人が創るのではなく、火が作る。
火の前に己を否定して随喜してゆく精神のみが、すぐれた陶芸品を作るのだ。
もともと陶芸は、人が自己否定することによってのみなりたちうる芸術である。
火が陶磁を作る。
人はただ随喜して火の世話をするにすぎない。
人の我意が働けば働くだけ焼きあがった作品は小さく、火が縦横にふるまえばふるまうだけ、できあがった作品は自然のごとくおおきい。

玩物喪志ということばがある。
すぐれた陶器というものは、作家だけでなく鑑賞者の魂をも食いとってしまう。
他の芸術作品にない力を、陶磁はもっている。
これを自らの幸せと思わないかぎり、陶芸家になることを止したほうがいい。
薔薇は、人がつくるのではなく、土と光が作るのである。

☞出典:「未生」第四巻第十一号

 

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