司馬さん一日一語☞『御師』


御師は、
中世から近世に
かけて活躍した。


伊勢神宮にも、
御師(おし)のグループがいた。

立山の場合もそうだったが、
伊勢神宮の場合も御師は参詣者を泊める宿を営む。
単に泊めるだけでなく、御師みずから祈祷もし、
あるいは国々を分担して御札や大麻などを売りあるかせる
組織をも動かしていた。

さらには団体参拝をも勧誘する。
それを御師の宿に泊め、ひいては神社の経済をも賑わすのである。
神社の神官ではなく、こんにちの会社組織でいえば、
メーカーに直結している販売会社と考えていい。
立山もそうだが、大きな神社が
こういう全国組織をもっていたということは、日本の中世、
近世の社会を考える上で

重要なことといわねばならない。
律令体制においては京都の朝廷と国司と百姓、
あるいは封建体制にあっては将軍と大名と領民というぐあいに、
タテの関係としてのみ片づけられやすいが、
かっての庶民の暮らしの社会関係というものはもうすこし複雑で、
支配関係とは別個の
ヨコの組織として宗教による組織が、それも
一種類や二種類でなく
数多く張りめぐらされていたのである。
立山の場合は、遠国から団体客がくれば、その国名によって泊まる
べき宿がちがう。
宿とは、宿坊である。大仙坊は大和と河内、玉泉坊は上総と安房といったふうである。
その宿坊のぬしが御師であった。
御師は遠国からの団体客のために祈祷をしてやったり、
先達となって立山に登る。
この場合は、ガイドになる。

明治後、この御師という存在はすたれた。

☞出典:『街道をゆく』4
洛北諸道(朝日新聞社)

 

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