司馬さん一日一語☞『笥』(け)


家にあれば笥に
盛る飯を
草枕旅にしあれば
椎の葉に盛る

『万葉集』の有馬皇子の歌は、よく知られている。
家にあれば笥に盛る飯(いひ)を
草枕旅にしあれば椎の葉に盛る

という笥(け)は、単に食器という意で、歌のなかの「笥」の材質まではわからない。
古代から陶器文化がさかんであった中国やペルシアでも貴族の食器は、金か銀といったように金属であった。

有馬皇子は、まだ多分に未開だった七世紀の日本社会の人だが、
貴族だったから、あるいは笥は金属だったかもしれない。

しかし、当時の庶民の笥は、主として木器であった(笥は竹カンムリながら、日本庶民の食器に竹製が入っていたとはちょっと考えられない。食器にもなりうるほどにふとい孟宗竹が中国江南地方から入ってくるのは、近世だからである)。
「旅にしあれば椎の葉に盛る」
ということは、七世紀のころ地方にゆけば、広い葉っぱに飯や菜を盛るのがふつうであったことを物語っている。
よほど時代がさがっても、神にささげる供物は、葉に盛られた。
このことは、日本の上代の食器がどういうものであったかということの想像の手がかりになる。


上代からながくつづいた木製食器には、わげものがあった。
檜・杉などを削って薄くし、曲げて筒形にし、底をとりつけて器にする。
板を薄くけずるには発展した指物道具の出現を待たねばならないから、せいぜいさかのぼっても、飛鳥時代ぐらいからだろう。

ほかに、椀がある。わげものに対し、椀はひきものである。
ひくは、轆轤挽くのひくのことで、いうまでもなく木をくりぬいて椀にするには轆轤という回転機械がなければならない。

この道具を用いて椀を挽く漂泊の職能人のことを、木地屋、木地師、木地くり、ろくろ師などとよぶことは、ひろく知られている。
むろん、庶民の日用品としての椀は木地のままのもので、うるし塗りとまではゆかなかったはずである。
中世、公家貴族や武家貴族の什器の主力は、漆器であった。

出典:『街道をゆく』18
越前の諸道(朝日文庫)

 

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