司馬さん一日一語☞『物の怪』(もののけ)


物の怪とは、
たとえば鬼や狐狸や
その他の怪物のような
実体のあるものでは
なかったようだ

源氏物語を読まれてご存じのように、平安期の文学や説話には「物の怪」(もののけ)からの恐怖が、どれを読んでもこまごまとしるされている。
居間を照らしている薄暗い短檠(たんけい/ともしび)の、わずかな光芒のそとは、完全な闇であった。
その、せまい光の円内だけが人間の世界であって、光の最後の円周から外は物の怪の支配する世界だと彼らは思っていた。
物の怪とは、たとえば鬼や狐狸やその他の怪物のような実体のあるものではなかったようだ。
一種の気体のようなもの、そのくせ随意に音響を立て、人に病いを起こさせ、時には便所の入口などで黒煙のように立昇利、気の弱いお公卿さまを卒倒させる。
ところが、年を経るにつれいつのほどにか都に住みにくくなりどこへともなく民族移動をはじめた。
愚察するに、藤原が衰え、平氏が亡び、剛健な鎌倉武士の支配する時代になってから、物の怪の衰退はとくに顕著なようだ。
加持祈祷を好む浪漫的な天台、真言の時代から、合理主義精神を尊ぶ禅宗、真宗の時代に移りはじめてから、物の怪ども世の中が住みづらくなったのにちがいない。

☞出典:『司馬遼太郎が考えたこと』1(新潮文庫)

 

おすすめ記事

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で