司馬さん一日一語☞『億劫須臾』


このことばが
南北朝時代、
大徳寺を紫野に開いた
大灯国師の文章から
とられたことは、
まぎれもない。


億劫(おくこう)も須萸(しゆゆ)も、時間のことである。

億劫が、宇宙的なほどにかぎりなくながい時間であるのに対し、
須萸はほんの寸刻を意味する。
「億劫須萸」(おくこうしゆゆ)とは、おそらく真理は両義性にあるということらしい。
『億劫相別レテ、須萸モ離レズ。尽日相対シテ、刹那モ対セズ』

まず、二人対座している情景を思いうかべねばならない。
二人は何億年も別かれているのだが、しかししばらくの間さえ
離れていないというのである。

双方が法(真理)の中に溶けてしまえば、いつも会っているのと同じだということだろう。
べつな二人がいることを想像しなければならない。
この一対はひねもす相対座していながら、じつは一瞬といえども相対していないのである。
真理を共有していないために、
ただかりそめに会っているにすぎない。
億劫と須萸という絶対矛盾が“しかも離れていない”という
自己同一を生むのである。

☞出典:『街道をゆく』34
大徳寺散歩、中津・宇佐の道(朝日文庫)

 

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