司馬さん一日一語☞『合歓の花』


芭蕉は、
この象潟にきて、
合歓(ねむ)の花を
見たらしい。

潟(かた)というのはおそらく紀元前からの古い日本語だろう。
遠浅の海のことである。

くわしくいえば、潮の干満の差がはなはだしく、退潮のときは陸になり、満潮のときには海になったりする場所をさす。
ところが、象潟の場合、潟をなしていた海は遠くへ行ってしまったらしい。
芭蕉のころは、たしかに海だった。
入江は大きくて、芭蕉によれば縦横一里ばかりあったという。
芭蕉は、この象潟にきて、合歓(ねむ)の花を見たらしい。
合歓の木は、日あたりのいい湿地を好んで自生するから、象潟にふさわしい。
夕方になると葉と葉をあわせて閉じ、睡眠運動をする。
このため日本語では眠(ねむ)または眠(ねぶ)の木と言い、
漢語ではその連想がもっと色っぽい。

合歓(ごうかん)という。
合歓とは、男女が共寝(ともね)をすることである。

しかし芭蕉のこの季節(元禄二年旧暦六月十六日)は、ねむの木が花をつけるころで、花は羽毛に似、白に淡く紅をふくんで、薄命の美女をおもわせる。

つかのまの合歓がかえって薄命を予感させるために、花はおぼろなほどにうつくしいのである。

芭蕉は、象潟というどこか悲しみを感じさせる水景に、西施の凄絶なうつくしさと憂いを思い、それをねぶの色に託しつつ、合歓という漢語をつかい、歴史をうごかしたエロティシズムを表現した。

 象潟や雨に西施が合歓の花

『おくのほそ道』の文章では、まず象潟は松島に似ている、とのべる。
しかし異(ちが)うという。

俤(俤)松嶋にかよひて、又異なり。
松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。
寂しさに悲しみをくはへて、地勢(景色のおもむき)魂をなやますに似たり。

☞︎出典:『街道をゆく』29
秋田県散歩(朝日文庫)

 

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