年: 2018年の記事一覧
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司馬さん一日一語☞『美女の基準』
平安時代は、 独自の基準を 生んだ。 私の中のアメリカ女性像というのは、小説と映画がなかだちになって出来あがっている。 アメリカ人の男性は女性の乳房の大きさと脚線美に関心をもつ。 日本の場合、大正期までは女のハト胸と出っ […]
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司馬さん一日一語☞『信長』
この人物は、 不条理や不可知なる ものを並はずれて 憎悪した。 信長という人物が日本歴史に果たした役割は、なんといっても中世の体系と中世的な迷妄を打破して歴史を近世に導いたところにあったろう。 この人物は、不条理や不可知 […]
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司馬さん一日一語☞『挿花』(そうか)
いわゆる “流儀ばな” という名で 遺されている。 辞し去ったあと、なにか、楽しく美しい記憶が余香のようにして胸に残っている。その原因は、その家屋内部のどこかで、ひそやかな存在を保ちつつ、色と香りをふんい気の中に溶かしこ […]
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司馬さん一日一語☞『儒礼』
漢の高祖は 儒礼を採用して はじめて 皇帝の尊貴さを 知った。 皇帝の権威を成立せしめるのは型である。 皇帝とは多分に形而上的存在であり、皇帝の尊貴さとは礼をおこなうことによってのみ臣下にわかるものだ 「わしは今日にして […]
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司馬さん一日一語☞『社稷』(しゃしょく)
もとの意味は、 対の壇のこと である。 社稷(しゃしょく)という漢語がある。 転じて国家と同義語になった。 もとの意味は、対の壇のことである。二基あった。 古代中国で、一つの王朝が興ると、創業の王が、首都の一隅にひっそり […]
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司馬さん一日一語☞『ゴールド・ラッシュ』
日本史には巨大な ゴールド・ラッシュ が二度ある。 秀吉が天下をとった時期。 絵画のタブローとして金屏風や金地の障壁画までが出現した。 安土桃山時代といえば、黄金の膚質(マチエール)でかがやいているような印象をもつのは、 […]
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司馬さん一日一語☞『愚行』
日露戦争後の 最初の愚行は、 官修の 『日露戦史』に おいてすべて 都合のわるいことは 隠蔽したこと である。 これによって国民は何事も知らされず、むしろ日本が神秘的な強国であるということを教えられるのみであり、小学校教 […]
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司馬さん一日一語☞『外法』(げぼう)
外法とは外道と 同じような意味で、 仏法意外の 祈祷術をいう。 すでに奈良朝のころにあったが、貴族が怪奇譚を好んだ平安時代には、大いに民間のあいだで活躍した。 猿の子や猫の頭の干しかためたものを本尊にして、自分の祈祷の霊 […]
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司馬さん一日一語☞『和風』(わふう)
和風とは なんだろうと 考えてみた。 土堤の下に宿の屋根瓦がみえた。 瓦が銀ねずみ色で、屋根の勾配が浅く、軽みのなかに、品のよさがある。 日本建築というよりも、語感としては和風建築である。 和風グリルなどという言葉が、品 […]
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司馬さん一日一語☞『わび』
わびとは 華やぎに 裏うちされた ものであり、 単なる シオレタルモノ ではない。 茶道ではワビとかサビとかいうが、室町から織豊期にかけての貴族・富裕階級で発展したそういう美意識は、われわれ庶民の感覚からみればひとひねり […]
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司馬さん一日一語☞『倭寇』(わこう)
国内の争乱と競争の エネルギーが、 海外にむかったのが 倭寇である。 倭寇はむろん海賊とかならず者というより、冒険的貿易者という性格のほうがつよく、集団的行動に習熟し、武においても結局、明朝衰亡の原因の一つになるほど強か […]
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司馬さん一日一語☞『倭』(わ)
倭というのは、 どういう 人間的イメージ であるか ということである。 日本人はもともと倭とか倭人とかよばれていたし、いまでも中国人や朝鮮人のあいだではこの言葉は生きている。 日本が中国を侵略していたころは、中国の新聞は […]
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司馬さん一日一語☞『老熟』(ろうじゅく)
老熟というのは 他者の立場や事情に 対して理解と優しさを 持つことである。 われわれのエネルギーがつねに武であり、文でなく、多分に倭寇的であったとしても、いずれはその体質なりに老熟したものになるに違いない。 しかし自分の […]
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司馬さん一日一語☞『流』(る)
「流」というのは 律令の刑罰の一つで 死罪に次ぐ 重刑である。 「流」(る)というのは、律令の刑罰の一つで、奈良朝以来、明治初年まで用いられた。 死罪に次ぐ重刑である。 ただし流してしまえばその地では自由に暮らせたらしい […]
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司馬さん一日一語☞『料簡』(りょうけん)
料簡というのは、 仏典の中の漢語で、 料はかんがえる、 簡は選択する、 ということである。 料簡というのは、この時代(室町末期)口語になっていたが、もともと仏典の中の漢語で、料はかんがえる、簡は選択する、ということである […]
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司馬さん一日一語☞『隆逹節』
戦国期に 隆逹節が 一世を風靡し、 その後の 日本の節や唄の 源流をなした 戦国期に、上方でこういう唄がはやった。 「面白の 春雨や 花の散らぬほどに降れ」 堺の富商の子だったという隆逹の作である。 隆逹は1527年の生 […]
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司馬さん一日一語☞『養生』(ようじょう)
「養生」というのは、 鎌倉時代もしくは それ以前からある 口語である。 水道の管理は、市民の養生のために大切です。 とはいわず、明治後はそのことを衛生という。 「田舎へ養生にゆく」というふるめかしい言い方も、しだいに保養 […]
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司馬さん一日一語☞『楊枝』(ようじ)
歯をみがく 木製(まれに竹製)の 道具のことである。 先端が毛のようにくだかれているか、削られて房状をなしているか、ともかく、いまの歯ブラシとおなじ目的の道具である。 楊枝という道具と歯をみがく習慣は、奈良朝に成立した。 […]
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司馬さん一日一語☞『様式』(ようしき)
日本人は ことさらに 様式を尊びます。 たとえば伝統的日本画の特徴が、すぐれた装飾性と様式美であることは、江戸中期の尾形光琳や、その流派としての琳派の絵をみてもわかるでしょう。 能や日本舞踊でもそうです。 能にあっては悲 […]
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司馬さん一日一語☞『由布』(ゆふ)
ゆふ(木棉・由布)は 上代語で、 木の皮から繊維を とりだした布のこと をいう。 由布院の由布という言葉の意味には諸説があるようだが、木棉(ゆふ)であると決めこんでも、ほぼ間違いないように思える。 木棉は、今でいうもめん […]
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司馬さん一日一語☞『友情』
「友情」 というのは 明治以後に 輸入した道徳だし、 概念であった。 この年(元治一年)、沖田総司二十一歳、近藤勇三十一歳、土方歳三三十歳である。 これに井上源三郎をふくめて、四人が、天然理心流宗家近藤周助(周斎)の相弟 […]
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司馬さん一日一語☞『夜郎自大』
「夜郎自大」 という言葉が、 『史記』の 「西南夷伝」にある。 昭和の陸軍には、明治の陸軍に濃厚に存在した現実を計算する能力は、なかった。 兵にも国民にも精神主義を強い、「世界一の陸軍」であるかのように、みずからも錯覚し […]
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司馬さん一日一語☞『弥生』(やよい)
紀元前三世紀ごろに 稲が北九州に伝来し、 紀元約三、四世紀に いたるまでを 弥生時代という。 江戸時代、このあたりは水戸藩の中屋敷で、町名などはなかった。 明治二年(1869)政府に収容されて、それでもなお名無しだった。 […]
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司馬さん一日一語☞『山見』(やまみ)
古代から幕末までの 日本の航海術は、 「山見」(山見)と いわれる方法だった。 陸の景色(山々の姿)を見ながら船の位置を知って航海する沿岸航法だったのである。 明治以前の船乗りにとって、「山」というものの第一は、岬のこと […]
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司馬さん一日一語☞『山伏』(やまぶし)
山伏は 不動明王を 尊崇する。 不動明王の絵像か彫像を背中の笈におさめて歩き、祈祷をたのまれると、この笈を地上にすえて壇とし、不動明王をかざり、密具をつかってそれをやる。 山伏はおそろしいばかりの験者(げんざ)としてとり […]
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司馬さん一日一語☞『山』
平安期には、 「山」といえば、 叡山のことであった。 むろんこの場合は地理学上の地塊をいわず、地上の王権からときに独立する気勢を示すかのような宗教的権威を指し、かつは平安貴族の死生観や日常の感情に思想的な繊維質を提供しつ […]
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司馬さん一日一語☞『厄介』(やっかい)
相続権のない 弟ぶんは、 江戸時代では、 士農工商とも、 「厄介」とよばれた。 山内六三郎は、江戸の人である。のち、堤雲と号した。 六三郎の父山内豊城は、旗本の用人だった。 旗本の用人は大名の家臣とはちがい、一般に渡りの […]
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司馬さん一日一語☞『文様・紋様』
モヨウ・モンヨウ という ことばについて、 注釈ふうにふれて おきたい。 着物などの柄を“模様”とよぶのは古くからおこなわれてきたことばだが、しかし模様は“空模様”というように、大体の様子のことをいったり、あるいはしぐさ […]
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司馬さん一日一語☞『主水』(もんど)
主水というのは、 古語である。 奈良・平安朝の ころの役職名で、 語源はモヒトリだ という。 徳川家康が江戸に入ったのは天正十八年(1590)。 その草創の最大の事業のひとつが、上水道を設けたことである。 その設計と施工 […]
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司馬さん一日一語☞『桃』(もも)
桃の実も桃の木も、 中国の古代信仰 —道教—のなかで、 魔よけの呪力のある ものとされている。 この桃の実の呪術性については日本の古代にも影響されていて、『古事記』『日本書紀』の神話にまでその痕跡 […]
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司馬さん一日一語☞『木綿』(もめん)
モメン(木綿) という この植物繊維の 王者とも いうべきものが、 日本に古来あった わけではない。 戦国期から、きちょうなものとしてほんの少数の武将たちに用いられはじめたのである。 説明的には、平安初期に三河の海岸に漂 […]
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司馬さん一日一語☞『名人』(めいじん)
名人ということばは 漢語にもあり、 盛名あってすぐれた人 をいうが、 日本ではふつう 技芸にすぐれた人を いう。 鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』※の文治二年四月八日のくだりに、頼朝とその御台所政子が、義経の想女であっ […]
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司馬さん一日一語☞『物の怪』(もののけ)
物の怪とは、 たとえば鬼や狐狸や その他の怪物のような 実体のあるものでは なかったようだ 源氏物語を読まれてご存じのように、平安期の文学や説話には「物の怪」(もののけ)からの恐怖が、どれを読んでもこまごまとしるされてい […]
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司馬さん一日一語☞『牧谿』(もっけい)
牧谿は、 南宋末の禅僧である。 水墨画をよくし、とくに浙江省の地(じ)の絵画ともいうべき撥墨画を描いた。 線を用いず、墨の濃淡という色面だけで描くという方法である。 この点にかぎっては、西洋の画法と似ている。 伝統無視の […]
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司馬さん一日一語☞『紫野』(むらさきの)
紫野とは、 染料の紫をとる 紫草がはえている 野をいう。 袖を振るというのは恋のしぐさだったそうで、『万葉集』にも、集中第一の才女額田王の歌が出ている。 あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る (巻第一、二〇 […]
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司馬さん一日一語☞『無常』(むじょう)
つまり 一定のままではない ということですね。 天然の無常※というのは、いい言葉ですね。 つまり、大思想によっては教えられなかったかもしれないけれど、既にあったもの、そういう意味ですね。 この日本列島に自然に湧いて出た、 […]
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司馬さん一日一語☞『民族』(みんぞく)
国家は 後からやってきた ものだが、 民族は それ以前から 存在した。 というより太古から存在したという神秘的な錯覚が、どの民族にもある。 さらにいうと、単に人間というにすぎないこの存在が、民族文化を持つことによって&# […]
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司馬さん一日一語☞『源姓』
平安初期、 天皇家の財政が困窮し、 多くの皇子たちを養って ゆけなくなった。 そういうことから 「源」という姓が 創設された。 弘仁五年(814年)嵯峨天皇のときで、多くの皇子皇女に「源」姓を持たせて臣籍にくだした。臣籍 […]
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司馬さん一日一語☞『湖』(みずうみ)
いったい 湖という日本語は 明治以前には なかったのでは ないか。 LAKEという外来語が入ってきてその翻訳語としてミズウミという日本語ができ、大正期を経て定着したのではないかとおもわれる。 われわれが湖とか湖畔とかいう […]
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司馬さん一日一語☞『巫女』(みこ)
巫女、 これはつねに 野(や)にあって 独行した。 仏教は奈良朝のころに形をととのえるのだが、固有の信仰は巌の下の木賊かなにかのように、地下茎をはびこらせつつ生き残った。 巫女、これはつねに野(や)にあって独行した。 多 […]
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司馬さん一日一語☞『まほろば』
“まほろば”が 古語であることは、 いうまでもない。 日本に稲作農業がほぼひろがったかと思われる古代—五、六世紀ころだろうか—大和(奈良県)を故郷にしていた人—伝説の日本武尊̵ […]
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司馬さん一日一語☞『洞が峠』
順慶は 日本語の語彙を 豊かにすることに 貢献した。 天正十(一五八二)年、信長は本能寺で光秀に討たれた。 当時、秀吉は備中にあり、軍を大返しに返して山城の山崎で光秀軍と対戦した。 このとき、戦場にちかい大和にいる筒井順 […]
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司馬さん一日一語☞『ほどのよさ』
この当時 (織豊時代)の 「ほどのよさ」 というのは その後のいい加減、 という 意味でなく、 出しゃばらない、 という 意味であった。 長宗我部盛親は性格が温厚で、口数がすくなく、おのずから長者の風のあったために、大坂 […]
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司馬さん一日一語☞『渤海国』
むかし 満州(いまの東北)に 渤海国という国が あった。 713年に興り、わずか二世紀余でほろんだ。 この国の民族は漢民族ではない。 日本人の遠縁になるかもしれないツングースであり、東洋史の用語では扶余族である。 ついで […]
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司馬さん一日一語☞『卜占』(ぼくせん)
上代日本語では 卜占をウラという。 ウラを活用させてウラナフ、ウラトフ、ウラフ、ウラハフといったりするが、ともかくも卜占(ぼくせん)は古代世界の科学であった。 専門の神道者(かむなぎ)がこの術を用いたが、かれらの奇妙さは […]
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司馬さん一日一語☞『判官びいき』
江戸期の庶民が、 判官びいきという ことばをつかった ときの判官は、 いうまでもなく 義経のことである。 しかし忠臣蔵の塩冶判官にもどこか通じさせてこの熟句をつかっていたのであろう。 兄の頼朝にいじめられたり、梶原にざん […]
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司馬さん一日一語☞『方外』(ほうがい)
方外とは浮世のそと という意味で、 極端にいうと、 この世に存在せぬ者 ということである。 江戸時代、将軍にじかに接する職として、儒者、医師、絵師などのあつかいを特殊なものにした。 方外とは浮世のそとという意味で、『広辞 […]
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司馬さん一日一語☞『弁財天』
弁財天(弁天)は、 もとは インドの土俗神 だった。 ガンジス川など大河を象徴する神で、ひょっとすると蛇への古代信仰の発展したものだったかもしれない。 女神である。 琵琶を弾いている。 元来が河神であるために、日本では琵 […]
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司馬さん一日一語☞『べに』
べにという日本語は、 古くはあっても もっぱら紅をべにと 言いなじむのは、 室町ごろからでは ないか。 『万葉集』のころは、べにといわず、くれないとよんでいた。 その植物およびその色を指す。 語源はたれもが想像できるよう […]
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司馬さん一日一語☞『分際』(ぶんざい)
分際・分という ものさえ 心得ていれば、 世の中は大過なく 送れるように なっていた。 分際とは、封建制のなかで身分ごとに(こまかく分ければクラスの数が千も二千もあるはずである)互いに住みわけてゆくための倫理的心構えもし […]
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司馬さん一日一語☞『文化』(ぶんか)
すべて “くるまれて楽しい” ということが、 文化なのです。 文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、 文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通 […]
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司馬さん一日一語☞『浮浪人』(ふろうにん)
国家からの 逃亡者であり、 それらを、 当時の公用語で、 「浮浪人」と よんだ。 七世紀の律令制のころの公民は、どう潤色されようとも、農奴という本質意外のなにものでもない。 かれらは—といっても私どもの先祖だ […]
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司馬さん一日一語☞『触』(ふれ)
「触」という 言葉そのものは、 古代からある。 遍く告げる、触れまわる、布告する、ということで上から下へ命令をくだす、という場合につかう。 中世にも戦国期にも、陣触(じんぶれ)<動員令>ということばがあった。 たとえば武 […]
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司馬さん一日一語☞『風流』(ふりゅう)
風流というのは、 本来“教養があって 雅びている”という 意味で、 中国の六朝時代に、 読書人の暮らしの スタイルとして 流行した。 六朝の知識人たちは政治論議を野暮とし、詩や琴棋(きんき)書画の中で遊ぶことを人生の最高 […]
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司馬さん一日一語☞『葡萄』(ぶどう)
ぶどうは ペルシャ(イラン) が原産地とある。 甲州ぶどうの原型をつくりあげるはなしをきいたことがある。 なんでも寿永年間というから平家が壇ノ浦でほろぶころ、いまの甲州ぶどうの雨宮さんの先祖の勘解由という土豪が、あるとき […]
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司馬さん一日一語☞『普請』(ふしん)
日本は、 普請の国である。 普請は、 土木のことをいう。 ことばとしては十三世紀ごろに浙江省あたりから入った宋の音で、当初は建築ということもふくめてつかっていた。 戦国時代になると、建築をきりはなして、これを「作事」とよ […]
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司馬さん一日一語☞『備長炭』
備長炭は 熊野に多い ウバメガシという 樫の一種を乾留して つくる。 白炭ともいい、打ちあわせると金属音に近い音が出る。 ふつうの木炭(黒炭とよばれる)のように一時的に高い火力が出て持続しないのとはちがい、温度は低いなが […]
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司馬さん一日一語☞『標準語』
標準語というのは いつごろできたので あろう。 「左様でござる」と、歌舞伎などで武士がいう。 江戸落語で武士を演出する場合も、四角ばって、たとえば「岸柳島」で武芸自慢の侍が、「尊公も両刀をたばさんでおられるなら、むざと手 […]
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司馬さん一日一語☞『飛騨工』
飛騨工(あるいは 斐陀匠/ひだのたくみ) ということばは、 八世紀の文献に すでにある。 飛騨人はどういうわけか建築、指物の技術をもって上代から知られていた。 奈良朝の「令」(りょう)によると、飛騨の国は諸国とことかわり […]
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司馬さん一日一語☞『聖』(ひじり)
日本の中世の 聖たちは、 こんにちの 日本の大衆社会の 諸機能をすでに 備えていた。 言葉というのは、本来なりさがりたるものらしい。 とくになまな現実感覚を超えてしまった尊称というのは、ひどく下落することがある。 たとえ […]
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司馬さん一日一語☞『蟇目を負わせる』
「いざ、蟇目負わせて くれん!」 鏑矢の鏃をすげないのを蟇目(ひきめ)といい、鳥獣などを生け捕りにしたり、物の怪を退散させる時に使い、これで射ることを「蟇目を負わせる」(ひきめをおわせる)というのだ。 南朝の興国三年、北 […]
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司馬さん一日一語☞『菱垣船』(ひがきせん)
盛りあげた荷が海に こぼれ落ちないように 両舷に垣を たてるのである。 だから、菱垣船とか 菱垣廻船とかいう。 からだに不釣り合いなほどにばかでかい帆をあげ、木ノ葉を縦に折ったようなV字形断面の船体には甲板(床)というも […]
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司馬さん一日一語☞『万里の長城』
紀元前、 異民族の侵入をふせぐ ためにつくられた (万里の)長城は、歴世、修理と増築をかさねて、胡をふせぐための機能をよく果たした。 塞外の騎馬民族にとって、この長い壁があるために馬を越えさせることができなかったのである […]
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司馬さん一日一語☞『藩邸』(はんてい)
「藩邸」 というよび方は 幕末以後のことばで、 大名の上屋敷・ 中屋敷・下屋敷を 総称することばである。 上屋敷は、将軍からの拝領地に建てられているから“拝領屋敷”などともよばれ、そこで大名が家庭を営んだ。 中屋敷・下屋 […]
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司馬さん一日一語☞『藩』(はん)
藩ということばは、 徳川時代の正式な 法制用語ではない。 幕府初期にはこの言葉さえ存在せず、中期ごろになってつかわれはじめ、幕末になって大いに奔走家のあいだで使用された。 新鮮なことばだったにちがいない。 薩摩の中村半次 […]
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司馬さん一日一語☞『ハマナス』
ハマナスは 北海道に多い。 また東北から 鳥取県にかけての 日本海岸地方の 海浜に自生する。 バラ科だそうだから、花はバラに似ており、トゲもある。 「バラ科なのに、どこが茄子なんです」 「実が梨の形に似ているからじゃない […]
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司馬さん一日一語☞『パニック』
ギリシア神話のなかの 牧神パンは たえず葦笛を吹き、 美少女とみれば 追いかけ、 気まぐれでもある。 突如怒りだし、羊や牛馬たちを走らせる。 パニックという語の源になった。 1929(昭和四)年のアメリカの株式市場にパニ […]
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司馬さん一日一語☞『花のような』
花のような、 という ことばがある。 人間の美しさを 表現した 日本語としては、 これほどみごとな ことばはないだろう。 森蘭丸は、少年のころから織田信長にその才を愛され、側近に侍しながら、美濃岩村五万石をあたえられてい […]
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司馬さん一日一語☞『八幡』(はちまん)
八幡、 はちまんといい、 やはたという。 いずれも八幡神のこと である。 この神はもっとも早い時代に仏教に習合したから「八幡大菩薩」などともよぶ。 八幡神は十二世紀には清和源氏の氏神になり、その家系の源頼朝が鎌倉幕府をひ […]
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司馬さん一日一語☞『畠』(はたけ)
「畠」という 文字が おもしろい。 漢字ではなく、 国字である。 日本では稲作水田のことを田というが、漢字の本家中国では、田の字は、稲作、麦作、または蔬菜畑を区別しなかった。 ところが、日本の奈良朝はコメをもって基盤とし […]
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司馬さん一日一語☞『芭蕉』(ばしょう)
芭蕉は、 木というより 大型の草という べきだろう。 “日本バナナ (Japanese banana)” などともいわれるらしいが、バナナの実は生らない。 暖地の植物である。 俳人の芭蕉が、伊賀から江戸に出てきたのは、寛 […]
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司馬さん一日一語☞『土師器』(はじき)
弥生式土器の後身は、 茶褐色の祖末な 焼きものである 土師器である。 日本の焼きものは、弥生式時代から古墳時代にかけて併用された土師器(はじき)と須恵器という二種類から、信じがたいほどのことだが、ながく進歩しなかった。 […]
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司馬さん一日一語☞『能力主義』
明治は、 日本人のなかに 能力主義が復活した 時代であった。 能力主義という、この狩猟民族だけに必要な価値判定の基準は、日本人の遠祖が騎馬民族であったかどうかはべつにせよ、農耕主体のながい伝統のなかで眠らされてきた。 途 […]
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司馬さん一日一語☞『合歓の花』
芭蕉は、 この象潟にきて、 合歓(ねむ)の花を 見たらしい。 潟(かた)というのはおそらく紀元前からの古い日本語だろう。 遠浅の海のことである。 くわしくいえば、潮の干満の差がはなはだしく、退潮のときは陸になり、満潮のと […]
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司馬さん一日一語☞『日本人』
こんにち “人類”というのが なお多分に観念で あるように、 江戸体制のなかでは “日本人”であることが そうだったろう。 幕末、勝海舟という人物は、異様な存在だった。 幕臣でありながら、その立場から自分を無重力にするこ […]
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司馬さん一日一語☞『ニシン』
『北海道漁業志稿』 (北水協会編纂) という古い本では ニシンはヌーシィ という アイヌ語からきた、 とある。 もともと和名では カドといったらしい。 手もとの『広辞苑』のカドの項をひらいてみると(東北地方で)ニシンのこ […]
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司馬さん一日一語☞『名乗』(なのり)
維新前、 人の名前にナノリ というものがあった。 広辞苑のその項をひくと、名告・名乗とあって、「公家及び武家の男子が、元服後に通称以外に加えた実名。 通称藤吉郎に対して秀吉と名乗る類」とある。 後藤又兵衛の名乗りは基次で […]
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司馬さん一日一語☞『灘』
普通名詞の 灘の文字は 国字ではなく 漢字である その意味は、つい漢字にひきずられて「潮の流れの速い海」と解されるが、たしかに黒潮の流れる熊野灘などはそれにあたるにしても、摂津の灘をはじめ、日本列島の他の多くの灘のつく海 […]
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司馬さん一日一語☞『名こそ惜しけれ』
恥ずかしいことを するなという精神が、 坂東武者から おこったんです。 日本はキリスト教がなかったし、仏教はより哲学的ですから、あえてキリスト教世界を基準に言いますと、倫理、道徳はなかったに等しい。 それに代わるものとし […]
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司馬さん一日一語☞『どこの馬の骨』
「どこの馬の骨」 ということばは、 日本語のなかでも ユーモアの滋養を たっぷりふくんだ、 数少ない佳い言葉 のなかに 入るのではないか。 「広辞苑」をひくと、—素性のわからぬ人を罵っていう称 とあり、元禄太 […]
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司馬さん一日一語☞『道路』
日本の道路は 昭和三十年代の後半から にわかによくなったが、 それまではとても 文明国とはいえないほど のひどさだった。 明治以前の日本人の道路感覚は、路幅は馬一頭が通れる程度でいいというほどのものであった。 明智光秀が […]
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司馬さん一日一語☞『同朋衆』
室町期の 同朋衆は、 日本文化に 大きな貢献をした。 一遍は鎌倉期の人だが、かれがはじめた時宗は室町・戦国期になると、ほとんど形骸化した。 たとえば在野の学芸の徒が、みずから時宗の徒である(世間の外の者である)と身分設定 […]
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司馬さん一日一語☞『刀剣』
室町期を通じ 数万口(ふり) 十数万口の日本刀が 船にのせられて 中国へ渡ってゆきました 日本から中国に輸出された—中国がもっともつよく需要した—ものは、刀剣であります。 室町期を通じ、数万口(ふり)、十数万口の日本刀が […]
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司馬さん一日一語☞『豆腐』(とうふ)
豆腐という名が 文献に出てくるのは、 宋代からだという。 豆腐の発明が中国であったことはたしかだが、いつたれが発明した、かとなると、ごく伝承的ながら、一種の定説があって、日本、中国とも、諸書がそれを踏襲している。 漢の高 […]
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司馬さん一日一語☞『陶芸』
陶芸は 人が創るのではなく、 火が作る。 独断をいうようだが、陶芸家というものは、自己主張が働くかぎり、いい作品はつくれない。 その点、絵画や彫刻などの純粋芸術とは異っている。 焼ものに関するかぎり、時代の古い作品ほどい […]
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司馬さん一日一語☞『寺』(てら)
「寺」という文字は、 仏教渡来以前から 存在した。 古代には、むろん神社はない。 ただ威霊が宿ったり降ったりする場所を清らかにしておくだけだった。 人口のものがあったとすれば、清浄の場所をしきるしめなわぐらいのものだろう […]
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司馬さん一日一語☞『出戻り』(でもどり)
江戸期、 航海のことばが、 暮らしのなかまで 入ってきた。 港の船がいったん沖へ出て、天候のかげんでまた港にもどることを“出戻り”というが、 転じて、いったん婚いだ娘が実家にもどっている状態をもさした。 船の船尾を艫(と […]
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司馬さん一日一語☞『です』
「です」という 軽い敬語も、 明治の 小学校教科書から はじまったかと 私は思う。 それまで「です」という言葉はなかった。 敬語としては、ふつう、江戸も京・大坂も「でござります」であった。 軽い場合は、江戸では「でござん […]