月: 2018年8月の記事一覧
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司馬さん一日一語☞『道路』
日本の道路は 昭和三十年代の後半から にわかによくなったが、 それまではとても 文明国とはいえないほど のひどさだった。 明治以前の日本人の道路感覚は、路幅は馬一頭が通れる程度でいいというほどのものであった。 明智光秀が […]
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司馬さん一日一語☞『同朋衆』
室町期の 同朋衆は、 日本文化に 大きな貢献をした。 一遍は鎌倉期の人だが、かれがはじめた時宗は室町・戦国期になると、ほとんど形骸化した。 たとえば在野の学芸の徒が、みずから時宗の徒である(世間の外の者である)と身分設定 […]
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司馬さん一日一語☞『刀剣』
室町期を通じ 数万口(ふり) 十数万口の日本刀が 船にのせられて 中国へ渡ってゆきました 日本から中国に輸出された—中国がもっともつよく需要した—ものは、刀剣であります。 室町期を通じ、数万口(ふり)、十数万口の日本刀が […]
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司馬さん一日一語☞『豆腐』(とうふ)
豆腐という名が 文献に出てくるのは、 宋代からだという。 豆腐の発明が中国であったことはたしかだが、いつたれが発明した、かとなると、ごく伝承的ながら、一種の定説があって、日本、中国とも、諸書がそれを踏襲している。 漢の高 […]
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司馬さん一日一語☞『陶芸』
陶芸は 人が創るのではなく、 火が作る。 独断をいうようだが、陶芸家というものは、自己主張が働くかぎり、いい作品はつくれない。 その点、絵画や彫刻などの純粋芸術とは異っている。 焼ものに関するかぎり、時代の古い作品ほどい […]
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司馬さん一日一語☞『寺』(てら)
「寺」という文字は、 仏教渡来以前から 存在した。 古代には、むろん神社はない。 ただ威霊が宿ったり降ったりする場所を清らかにしておくだけだった。 人口のものがあったとすれば、清浄の場所をしきるしめなわぐらいのものだろう […]
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司馬さん一日一語☞『出戻り』(でもどり)
江戸期、 航海のことばが、 暮らしのなかまで 入ってきた。 港の船がいったん沖へ出て、天候のかげんでまた港にもどることを“出戻り”というが、 転じて、いったん婚いだ娘が実家にもどっている状態をもさした。 船の船尾を艫(と […]
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司馬さん一日一語☞『です』
「です」という 軽い敬語も、 明治の 小学校教科書から はじまったかと 私は思う。 それまで「です」という言葉はなかった。 敬語としては、ふつう、江戸も京・大坂も「でござります」であった。 軽い場合は、江戸では「でござん […]
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司馬さん一日一語☞『泥炭地』(でいたんち)
明治後、 何十年にもわたって (北海道の)開拓民を なやましたものに、 泥炭地がある。 太古以来、石狩川が氾濫して流域を変えたり、遊水して沼地をつくったりして、そのつどアシやスゲの草が埋まり、腐朽し、どろのように炭化し、 […]
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司馬さん一日一語☞『九十九髪』
久秀の献上した 「つくもがみ」 というのは 茶入れの名である 信長公記の十月二日の条に、「松永弾正は我朝無双のつくもがみ進上申され」とあり、 甫庵太閤記には「天下無双の吉光の脇差を捧げ奉る」とあり、総見記では両方とも献上 […]
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司馬さん一日一語☞『鎮守の森』
昔から鎮守の森 というのがありまして、 むろん今はたれも以下のことは信じていませんが、伝承として、神様は木を伝って降りてくると信じられていました。 だから鎮守は本来森だけだったわけです。 少なくとも十世紀ぐらいにわれわれ […]
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司馬さん一日一語☞『蝶』
私は、 蝶という言葉が、 上代日本人にとって 外国語であることが 気になっている。 蝶、音はテフ。 テフという古い中国語の音は、蝶がその羽をにわかに翻しつつひらひら飛ぶさまから来ている。 人間の暮らしの中にありふれて存在 […]
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司馬さん一日一語☞『朝夕人』
将軍が 「朝夕人」とよぶ。 小便をしたい、 という意味である。 江戸幕府は殿中の制度を立てるにあたって室町幕府を参考にしたが、公人(公儀の下人)という名称も存在も継承しなかった。 「朝夕人」(ちょうじゃくにん)という職名 […]
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司馬さん一日一語☞『魑魅魍魎』
魑とは山の神で、 顔はトラである。 魅とは沢の神で、 顔はイノシシである。 陸軍が二種類ある。 「壮士・志士あがりの近衛軍」 「徴兵制による国防軍である鎮台」 桐野(利秋)が前者を代表しているのに対し、山県(有朋)は後者 […]
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司馬さん一日一語☞『丹前』(たんぜん)
丹後守屋敷の前 ということで、 この風俗営業のことを 略して、丹前とか 丹前風呂とかよんだ。 神田佐柄木町や雉子町のつづきに、堀丹後守という小さな大名の屋敷があって、その付近に風呂屋が多くできた。 店ごとに湯女を多数おい […]
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司馬さん一日一語☞『種子島』
日本の近世史は、 この長篠の戦場における 信長の銃火によって 幕をあけたという べきだろう。 日本の鉄砲の歴史は、たれでも知っているとおり、天文十二年(1543)種子島に漂着したポルトガル船の船長が島の王様種子島時尭(と […]
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司馬さん一日一語☞『谷』(たに)
谷こそ 古日本人にとって めでたき土地だった。 丘(岡)などはネギか大根、せいぜい雑穀しか植えられない。 江戸期のことばでも、碁の岡目八目とか岡場所(正規でない遊里)という場合の岡は、傍とか第二義的な土地という意味だった […]
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司馬さん一日一語☞『ダテ』
男を立てるから 男だてといい、 それから独立して 「ダテ」という ことばが出来た。 元和九年七月、将軍秀忠は、嗣子家光に世をゆずった。 家光は父の秀忠とともに上洛して、将軍宣下を受けた。 諸大名皆これに供奉したが、伊達政 […]
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司馬さん一日一語☞『韃靼』(だったん)
民族名であり、 地域名でもあったが、 しかし いまはこんな名称は 現実には存在しない。 韃靼(だったん)の韃は、明の辞書である「字彙」によると、撻(たつ/むちうつ)からきている。 馬をむちうって駆けるというイメージからつ […]
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司馬さん一日一語☞『大納言』(だいなごん)
大納言というのは、 大宝律令でできた 官職で 大臣のつぎの職である。 大臣が参内しないときは、それに代理して諸政をみた。 比較はできないが、比喩としていえばいまの事務次官にあたるであろう。 千二百年前の日本の官人、知識層 […]
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司馬さん一日一語☞『大儀』(たいぎ)
「大儀」 秀頼という青年は、 家来にこれ以上 ながいことばを 言ったことがない。 なみはずれた大男で容貌も秀麗であり、内々のうわさで漢字(まな)の書物などもすらすら読むくせに、表お座所に出るとこれだけしか言えないのである […]
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司馬さん一日一語☞『隊』(たい)
隊という言葉は、 元来日本語には なかった。 武士の組織単位のことは戦国以来「組」とよばれ江戸期の幕藩体制にもこの単位用語がつかわれた。 幕末の長州藩が幕府と対峙したときに挙藩一致の動員をおこなわざるをえなくなり、 軽格 […]
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司馬さん一日一語☞『尊王攘夷』
あるいは 尊王賤覇とも いうのです。 朱子学の道はまた別な要素、尊王攘夷がやかましくいわれる。あるいは尊王賤覇ともいうのです。 尊王攘夷の夷はあくまでも異民族という意味で、これは中国で起こった宗学の家庭の事情によるもので […]
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司馬さん一日一語☞『世間虚仮』
七世紀の聖徳太子が 大好きなことばだった。 世間(せけん)というのは現象世界のことで、こんにちでいう、世界の意味です。 世界は虚仮(こけ)、仮のものである、というのは、七世紀の当時だからこそ—その程度の生産能 […]
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司馬さん一日一語☞『製紙』(せいし)
製紙法がいつどこから 伝わったものなのか 正確に論証しがたいが、 ふつう『日本書紀』の 推古天皇十八年春三月の くだりがよりどころに なっている。 高麗王の命によって渡日した僧曇徴が、その年、製紙、製墨、あるいは彩色の法 […]
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司馬さん一日一語☞『正義』
正義という 人迷惑な一種の 社会規範は、 幕末以前には日本に なかったといっていい。 当時(幕末)の日本人は、知識人でも日本史の知識をいまの中学生ほども知っていなかった。 通史といえば『日本外史』一冊きりなのである。『日 […]
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司馬さん一日一語☞『スマート』
私は海軍のことを 知らないが、 その精神教育は—- 海軍士官は スマートであれ。 という一点に尽きるらしい。 とくに速成教育で士官になるひとびとはこのひとことに感動し、生涯海軍びいきになってしまうという。 ス […]
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司馬さん一日一語☞『杉』(すぎ)
杉が建材として 流行したのは、 せいぜい室町時代ごろ からかと思える。 古い寺院建築や書院造りの建物をみても、ヒノキのようなずっしりした硬い材が主役で、杉のような軟らかくてかるがるした材は、せいぜい杉戸のようなものとして […]
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司馬さん一日一語☞『スキタイ』
紀元前六世紀から 前三世紀ごろにかけて、 黒海北岸の草原地帯を 騎馬でかけまわっていた イラン系の民族 スキタイのひとびとは二つの発明を人類に遺したことで知られる。 一つは馬の背にじかに乗るという、それまで人間が思いもつ […]
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司馬さん一日一語☞『数寄』(すうき)
「好・数寄・数奇」 という、室町文化を 特徴づけることばは、 愉悦であるとともに、 毒として理解されて いた。 昂ずれば城をほろぼし、商いに身が入らず、身上をつぶすという危険と表裏をなしているからこそ、 数寄をつらぬいた […]
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司馬さん一日一語☞『随分だわね』
このことばづかいは、 明治三十年代から、 山の手を中心に はやりはじめた ものかと おもわれる。 鴎外は、明治四十二年、『団子坂』という題の小品を書いた。 「……あなたが僕の傍に来て、いくら堅くしていたって、僕の目はあな […]