司馬さん一日一語☞『遮光器土偶』


古代人は、
写実がつまらないと
おもっていたらしく、
好きな部分を
思いきって誇張した。

亀ヶ岡は、標高約15ないし20メートルほどもある。
この丘が縄文晩期、あたかも都市のように栄えたのは、
まわりに大小の湖沼をめぐらし、魚介がゆたかで、大きな人口を養えたからにちがいない。

採集生活とはいえ、この縄文の都市では技能による専門化がおこなわれていたふしが十分以上にある。
粗放ながら漆器まで出土しているのである。
亀ヶ岡ではかごにうるしをぬりつけて保ちをよくしている。
ひょっとすると、中国より古いかもしれない。

ここから出土した圧倒的なものは、土偶類であった。
とくに、“遮光器土偶”(しゃこうきどぐう)がすばらしい。
女性一般の像である。
古代人は、写実がつまらないとおもっていたらしく、好きな部分を思いきって誇張した。
この場合は目で、眼窩が誇張され、両眼が顏からはみ出るほどに大きく、しかし瞳は入れない。
眠ったように眼裂は横一線で間にあわせている。
鼻孔と口には関心がうすかったのか、ごく小さく付け足されているだけである。

強調される両眼の表現が、イヌイット(エスキモー)が晴れた雪原でつかう遮光器に似ているために、考古学では遮光器土偶とよばれてきた。
髪はちぢれて盛りあがり、ネックレスを用い、ウズマキ紋様の衣服をつけ、胸には乳房が強調され、四肢は赤ちゃんのようにみじかい。
誇張がはげしいために、全体として怪奇である。
ただ小さい。大きいもので20センチほどである。
だから怪奇さよりも、多装飾による神秘感のほうが強い。

☞出典:『街道をゆく』41
北のまほろば(朝日文庫)

 

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