司馬さん一日一語☞『遣唐使船』


遣唐使船の構造は、
同時期の中国、
アラビア、あるいは
新羅の造船技術より
はるかに劣っていた。

船底がタライのように扁平で、
むろん竜骨などは用いられていない。
全体が柳の葉形でなく樟の葉形で
つまりまるまちっくて、骨なしで
戸板をはりあわせたような構造だったためにすこしの風浪にでも
くだける例が多かった。
この一船に百人前後も乗り、四隻が一組になって、運を天に任せ、大海を突っきってゆくのである。
航路はいくつかあったが、南島路とよばれる航路が、仮にいうとすれば遣唐使時代(630〜894)の中期ごろから開発され、坊津が本土のおける最終出発港になった。

航海術は素朴なものでしかなかったために、多くの場合、出発の決断は、陰陽師のうらないのようなものによっておこなわれた。

 

出典:『古今往来』(中公文庫)

 

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