司馬さん一日一語☞『谷』(たに)


谷こそ
古日本人にとって
めでたき土地だった。

丘(岡)などはネギか大根、せいぜい雑穀しか植えられない。
江戸期のことばでも、碁の岡目八目とか岡場所(正規でない遊里)という場合の岡は、傍とか第二義的な土地という意味だった。
村落も谷にできた。
近世の城下町も、谷か、河口の低湿地にできた。

☞(「谷の国」より)

漢字の「谷」というのは、本来ヤトなんだ。
普通われわれが思っているタニは「峡」という漢字をあてるか「渓」をあてるかどちらかが適当であって、それに対して「谷」というのは、「進退谷(きわ)まれり」という動詞にもなるように、きわまったところにあるものなんですね。

☞(対談「よい日本語、悪い日本語」より)

源平時代の坂東武者は、この地方のアイヌ語をひきつぎ、谷をyatuといっていたし、関東で谷のつく地名はヤとかヤツとかよむのがふつうのようだ。西日本ではむろんタニという。京都の鹿ヶ谷は、シシガタニであって、シシガヤではない。
さて、yatuがアイヌ語だとすると、taniは何語なのか。
出雲語かもしれない。天孫族の言葉か。人種的な起源はよくわからないが、要するに早くから西日本を征服していた人種であろう。

☞出典:『尻啖え孫市』(講談社)

 

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