司馬さん一日一語☞『興福寺』


日本文化史で、
もし、
「興福寺」という
存在を除外すると
したら、様相が
変わってしまうに
ちがいない。

それほど、この寺の存在はわれわれにとって重要である。
が、現存する寺としての興福寺には、往時の威容はない。ただ、
こんにち、奈良公園とその周辺を歩いていて、旧興福寺境内でないところを踏む事は困難である。
この寺は、明治初年、興福寺をみずから捨てたのである。
明治維新成立当時の神仏分離(廃仏毀釈)という暴政に対する興福寺僧侶の態度は、潑剌とした精神から遠い。

そんなことを思いながら、私は、かって興福寺の大乗院が所在した場所にいる。奈良ホテルである。
明治四十二年にできたこのホテルは、奈良の風景に調和するように、桃山風の建築様式を基本主題として設計され、その後、多少修復されたが、いまもそのたたずまいのまま、大乗院庭園跡の丘陵上に立っている。
ロビィは池畔の庭園に面し、そのむこうに荒池とよばれる池がさざなみだっている。まことに気分がいい。

明治五年九月、一山の土塀・諸門などがことごとくこわされて、一空に帰した。
のちに成立する奈良公園のうつくしさは、興福寺を毀つことに寄って成立したのである。
いまここを散策する私どもが、なにものかに感謝せねばならぬとすれば、旧興福寺の末期の僧たちの無信仰に対してその意を捧げるべきだろうか。
このことは、末期の僧たちを侮辱しているのではない。
私ども日本人には、大なり小なり
旧興福寺の僧たちの気質がある。

☞出典:『街道をゆく』24
奈良散歩(朝日新聞社)

 

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