司馬さん一日一語☞『系図』(けいず)


先祖から代々の系統を
書きしるした表。
系譜。家譜。

京の着だおれ、江戸の履きだおれ、大坂の食いだおれ、という。それが東海地方にゆくと、それに語呂をあわせて、美濃の系図だおれと、最後につけくわえる。
系図というのはこんにち、死語にちかい日本語のひとつであろう、念のために広辞苑をひくと、
先祖から代々の系統を書きしるした表。系譜。家譜。とある。
さらにその項に、「系図買い」という言葉も出ている。
出身のいやしい者が、家系を装飾するために他の系図を買うこと、という意味である。
系図が現実的な力をもっていた徳川時代にあっては、その売買が正気でおこなわれた。徳川将軍家治のころ老中田沼意次の事件など、その好例であろう。

広辞苑のその項をみると、「系図知り」という言葉もでている。
諸家からたのまれて系図を偽作する専門家のことである。

関ヶ原の戦勝でできあがった徳川政権は、安定するにしたがい、
その家系を明確にすることを思いついた。幕府は諸大名や旗本にその家系を書いて提出するように命じた。寛政年間に官制による事業として大規模に編集された。

「寛政重修諸家譜」がそれである。このため大名小名は家系を作らなければならなかった。どの家の祖も多くは戦国風雲のころ銹槍(さびやり)一筋で身をおこした者ばかりで、遠祖は何者ともしれない。このため学者に依頼して家系をつくらせた。
作る者が「系図知り」である。

たしか備前岡山の殿様池田新太郎光政であったか、ある日、江戸城の殿中で他の大名から
「御家は、源氏でござるか、藤原氏でござるか」
ときかれたとき、光政は一笑し、「左様。ただいま林大学頭につくらせておりますゆえ、いずれできあがり次第、お答えに及びましょう」といった。系図とは多くはそうしたものである。

☞︎出典:「美濃浪人」『人斬り以蔵』所収(新潮文庫)

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