司馬さん一日一語☞『皇紀』(こうき)


皇紀などという
珍妙なものを
公式に制定したのは、
民族主義が昂揚、
もしくは
昂揚せざるをえなかった
明治初年のこと

で、太政官は『日本書紀』の紀年法を採用し、
西暦から六六〇年古くして神武天皇の即位の年とした。

『日本書紀』の上代が、建国を古くするためにずいぶん荒唐無稽な年代のひきのばしをやっていることについては、すでに江戸時代でも国学者の本居宣長や藤原貞幹が疑問を提出した。
明治五(1872)年、「太政官布告第三四二号」をもって、
無知な官員どもが紀元をさだめ、布告した。

皇紀二千六百年にあたる昭和十五年に、政府は国をあげて祝典やら行事やらをやったが、この翌年に太平洋戦争をやってのけたことを思うと、国権をもてあそぶ連中というのは、どこの国でも似たようなものだが、変に思想的な祭礼をやって民衆を沸かせることを好むらしい。
神武紀元はウソだという津田左右吉の学問は、
当時の内務省の大小の役人の知識のなかになかったらしく、
二千六百年の紀元節である二月十一日が近づいてからそのことに気づき、あわてて一月十三日、岩波書店に対し、津田左右吉の著作を内務省に持って来させ、
その翌月、発禁にしている。
泥縄とはこのことであろう。


☞出典:『街道をゆく』12
十津川街道(朝日文庫)

 

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