司馬さん一日一語☞『演説』


日本語は
訥弁であり、
演説より
談合に向いている
のである。


演説というのは、

開化の明治期が輸入した最も重要な技術種目の一つで、しかもついにものにならず、今なおものになっていないというあたりに、オッペケペの問題を考えることができるだろう。
英語のスピーチを演舌または演説という日本語に仕立てたのは福沢諭吉である。
福沢は演説を重視し、門人にそれを勧め、明治八(1875)年には、三田に演説館を建てた。
しかし不特定多数の大衆にものをいうという習慣が日本になく(真宗僧の説教以外に)、さらには政治の中に論理を持ち込んで、それを修辞によって聴衆に理解させ、さらには鼓舞させるという習慣が日本の過去の政治に皆無で、それだけでなく日本語そのものの言語的伝統にもそれがなかったため、たわいもない扇動や詭弁、もしくは乞食節調へ陥りがちで、ほとんど実を結ぶことがなかった。
結局は政治は論戦や雄弁によって動かされることなく、楽屋での取引でうごかされていく。

日本語は訥弁であり、演説より談合に向いているのである。
歌舞伎や文楽などの世界でも、論理的対立ということで芝居が進行するのではなく、肝心なところは浄瑠璃という唄によって、論理的手段というよりも情感に訴える手段で観客は納得させられていく。
ということからみれば、
自由民権運動の退潮期に出てきたオッペケペというのは、節まわしでもって雄弁の代用をしていく。

雄弁という西洋の概念は、
最少の時間に最大の観念を表現する技術であるとすれば、
日本はこれとは逆に、最大の観念を伝えるには沈黙するほうがより効果があるという精神風土の国であり、歌舞伎の場合、あるいは今日の高倉健のヤクザ映画の場合でも、
その沈黙の場面が唄として情感に訴えられていくのである。

☞出典:『司馬遼太郎歴史のなかの邂逅』4(中央公論新社)

 

おすすめ記事

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で