司馬さん一日一語☞『源姓』
 


平安初期、
天皇家の財政が困窮し、
多くの皇子たちを養って
ゆけなくなった。
そういうことから
「源」という姓が
創設された。

弘仁五年(814年)嵯峨天皇のときで、多くの皇子皇女に「源」姓を持たせて臣籍にくだした。臣籍に入れば、官位にありつける機会も多いということだろう。
源は、訓読してミナモトともいう。天皇家に源を発する意味だといい。
「源」が、中国ふうの一字姓だということである。
中国では、二字姓は異民族出身である場合が多く、貴ばれない。
ついでながら国名ですら中国内地の王朝は一字である。
たとえば、殷・周・趙・燕・秦・漢などといったふうで、これに対し蕃国は二字に決まっている。
たとえば、匈奴、柔然、康居、新羅、西夏、日本。—-
源姓は、名の様式まで変えた。
臣籍降下して源姓を名乗った最初の人物は、源信(まこと)と源融(とおる)である。
ゲンシンとかゲンユウなら、たとえ遣唐使を命ぜられても、長安の人士から違和感をもって見られずにすむ。

ついで、源の成立から11年後の825年、桓武天皇は葛原親王の子を臣籍にくだし、はじめて「平」という姓をおこさせた。
初代歯平高棟(たかむね)である。音でよめば、唐人の姓名になりうる。
二字の漢字をならべて、漢字としても意味をもたせつつ、わざわざ訓よみするというこの命名法は、こんにちにいたるまで生きつづけているのである。
その後、源・平は、ふんだんに創られた。
源氏の場合、十人の天皇の枝脈が大量に源氏になった。
とくに清和源氏(初代は961年に成立)が地方に土着して武士化しついには後代、関東を制するにいたったことはよく知られている。
平氏は四人の天皇のわかれが賜姓された。
関東で土着するのは桓武平氏で、平安末期には「坂東八平氏」などとよばれた。千葉、上総、三浦、大庭、梶原、秩父、長田、土肥の八氏を言い、かれらは坂東の「開発人」として武力を誇った。

☞出典:︎『この国のかたち』六(文藝春秋)

 

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