司馬さん一日一語☞『浅葱裏』


江戸時代のことばで、
田舎者や
野暮天のことを、
「浅葱裏」といった。

江戸時代、
田舎の藩の勤番侍などが、
着物の裏に浅葱もめんをつかっている。

そういうのが野暮なことから、
そういう言葉ができたのだろう。
お酒のまわった座興の席で、

にわかに真顔になって小さな事実を申し立てるのが浅葱裏(あさぎうら)だ
※浅葱色は色町のことば。
武士という意味でこの当時ふつうに使われていたのは「館者」(やかたもの)で、
大名屋敷に仕えるからそうよばれたのであろう。

 

☞出典:『歴史の舞台』
(中央公論社)
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いつだったか、京都の座敷で飲んでいて、最後に、
彼女は、いわば愛情をこめた足蹴でもって、

「大正生まれは浅葱裏。—-」と、一刀両断にされてしまった。
このあざやかさに、やつけられた当方が畳の上に笑いころげた。
例えがどうかと思うが、
吉原の大まがきの薄雲大夫かなんぞにやられたような
贅沢な快感があった。

☞引用:「女の華やぎ—-田辺聖子の世界」(文藝春秋)
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いうまでもなく浅葱裏は参勤交代の藩主についてお江戸へきた
田舎武士、
江戸の(ことにも吉原の)事情に疎い上、言語風采が
野暮にみえたのだろう、

江戸人士からは<浅葱裏>と軽侮されている。
彼らの羽織裏はたいてい浅葱木綿だったところからくるが、
しかし、文弱に流れた江戸侍とちがい、
一面、
浅葱裏たちは質実剛健、素朴で誠実だったかもしれない。
—-
大正生まれは、誠実なるがゆえのモッチャリした<野暮さ>を
尾骶骨にのこしている。

それを私は<浅葱裏>と表現したつもりであった。

☞引用:(田辺聖子「浅葱裏—ある日の司馬サン」から)

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