司馬さん一日一語☞『民族』(みんぞく)


国家は
後からやってきた
ものだが、
民族は
それ以前から
存在した。

というより太古から存在したという神秘的な錯覚が、どの民族にもある。
さらにいうと、単に人間というにすぎないこの存在が、民族文化を持つことによって—たとえばインディオがポンチョを着、エスキモーがアザラシを撃つときに—より人間くさく見えるというふしぎさは、私どもにとっていまだに謎である。
原形としての民族は、採集もしくは生産を共にする集団というものにすぎなかった。
たとえば満州とよばれた中国の東北地方にはツングース語族系の人々がいくつかの少数民族に支れていたし、現在も多少そうらしいが、かれらのなかまで、漢民族が魚皮韃子(ユービーターヅ)(魚の皮を着た韃靼)とよんでいるホジェンという民族は、黒竜江、松花江その他の沿岸に住み、鮭を獲り、鮭を主食とし、鮭の皮を着ており、他の農耕ツングースや狩猟ツングースに対しては、新中国成立以前、ふつう交わりをもたなかった。
ホジェンの場合、生産によって「族」が形成されている好例というべきで、同語族内での他のグループとは土俗信仰もちがえば、暮らしの作法も微妙な点でちがってしまっているのである。

私どもの場合、紀元前後に水稲農耕が普及して以来、「族」が形成されたとみていい。
黒竜江の岸辺のホジェンが鮭に頼っているように稲に頼り、ホジェンが白樺の皮で家をつくるようにわらと木で家をつくり、ホジェンが鮭の皮でズボンや靴をつくるようにわらぐつやわらじ、わら草履をはいて暮らしてきた。
水田農作が軒をよせあって集落をつくることを必要としたために、その集落の中で社会意識や世間感覚、あるいは信仰上の基礎感覚が成立し、奈良朝以後、国家という広域社会ができあがってから、その後近代国家をもち、生産が多様化したこんにちにいたるまでそこからすこしも脱け出ることがないばかりか、むしろ歴史の彫琢をへてもともと粗笨だった原形がいっそう精緻になっている。

☞出典:「日本人の内と外」(中公新書)

 

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