司馬さん一日一語☞『楊枝』(ようじ)


歯をみがく
木製(まれに竹製)の
道具のことである。

先端が毛のようにくだかれているか、削られて房状をなしているか、ともかく、いまの歯ブラシとおなじ目的の道具である。
楊枝という道具と歯をみがく習慣は、奈良朝に成立した。
楊枝と、それを毎朝用いる習慣は、もともと古代インドのものであった。
日本には、仏教伝来(五三八)とともに入った。

(仏教の伝来ということの大きさは、生活文化をともなっていたということにあるであろう)平安期になると、貴族や僧侶が大いに用い、やがて庶民におよんだ。
江戸時代には、さらにその習慣が普及しただけでなく、都市では楊枝は手製でなく商品になった。楊枝は一度つかえば捨ててしまう。
それを金で買うというのは、たかが楊枝とはいえ、江戸期の都市生活者は田舎にくらべると贅沢なものであった。

☞出典:︎『歴史と視点』(新潮社)

「楊枝」という明治以前の歯ブラシは、楊柳のほそい材を削ってさきを房状に削りのこしたものである。
明治以前の江戸の町では、小間物屋で売っていた。
多くは下級武士の手内職の一つで、そのことを知ったのは、江原素六の事歴によってである。
かれは幕臣とは名ばかりの小身の家にうまれた。

父が房楊枝削りを内職としていたが、素六は八、九歳のころから手伝いをし、「日に必ず百本磨きたり」という。
鎌倉期の人である道元は、「日本一国、朝野の道俗、ともに楊枝を見聞す」という。
日本ではみな楊枝をつかっている、と道元がいっているところをみると、ほぼ普及していたにちがいない。
インドでは仏や如来が用いていた。
であるから、「もしもちいざらんは、その法失墜せり」つまりは、仏法ではない、と道元は激しくいう。かれの形而上性が、日常規範に裏打ちされることによって成立していたという機微が、このことにもうかがえる。
逆にいえば日常規範とつながらなければ、形而上性など屁理屈にすぎなくなるのである。

※道元は、極度に知的な人であった。逆に、そうであればこそ、具体的な日常の規範を重んじた。かれは『正法眼蔵』第五十「洗面」の章で、僧たるもの、体をきれいに洗い、いつも清潔な衣をつけているべきである、とし、それが仏法の初歩である、という。

☞出典:『街道をゆく』18
越前の諸道(朝日文庫)

 

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