司馬さん一日一語☞『日本人』


こんにち
“人類”というのが
なお多分に観念で
あるように、
江戸体制のなかでは
“日本人”であることが
そうだったろう。

幕末、勝海舟という人物は、異様な存在だった。
幕臣でありながら、その立場から自分を無重力にすることができた上に、いわば最初の“日本人”だったといえる。
こんにち“人類”というのがなお多分に観念であるように、江戸体制のなかでは“日本人”であることがそうだったろう。
たとえば、武士はそれぞれが所属する幕藩制のなかで生き、立場立場が限界だったし、庶民も、身分制から足をぬいて考えることができなかった。
海舟だけが脱けえた。
海舟がそのように海舟たりえたのは素質だけでなく、封建門閥制に対する憎悪もあったかと思える。

海舟のおけるその感情は性悪というべきもので、しばし精神の平衡をうしなわせるほどに深刻だった。
しかしながら、海舟のえらさは、そういうえぐさをいわば糖化し、かれの中で、“日本人”として醸造し、それ以上に蒸留酒にまで仕上げたことである。
さらにいえば、かれはそのもっとも澄んだ分を門人である浪人坂本竜馬にうけわたした。
その後の竜馬における自在な発想と行動は、勝の期待よりもはるかにきらびやかだった。
おそらく発想は、当時かれと海舟以外に存在しなかった“国民”という宙空の光芒のような場所から出たものにちがいなく、そういう数行を『竜馬がゆく』で書き足したいようにも思うし、あるいは、それは説明にすぎず、無用だとも思ったりしている。

☞出典:『以下、無用のことながら』(文藝春秋)

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