司馬さん一日一語☞『方外』(ほうがい)


方外とは浮世のそと
という意味で、
極端にいうと、
この世に存在せぬ者
ということである。

江戸時代、将軍にじかに接する職として、儒者、医師、絵師などのあつかいを特殊なものにした。
方外とは浮世のそとという意味で、『広辞苑』のその項を借りると「世を捨てること。
また僧侶・医師・画工など、昔は世捨人と見なされた者の境遇の社会」とある。
極端にいうと、この世に存在せぬ者ということである。

そいう者なら、医師として将軍の寝室に入り、将軍の胸をひろげ、手をとって脈をとっても、他の系列の封建秩序のさまたげにならない。
このため、幕府の儒者、医師、絵師はみな頭をまるめ、十徳(じつとく)という僧衣まがいの衣服を着せられていた。
「あれは方外者じゃ」ということで、殿中のどういう場所でも出入りする。
官位も大名や高禄の旗本にあたえられる栄爵に系列ではなく、僧のなかでかつて使われていた法印、法眼(ほうげん)、法橋(ほつきょう)といった系列のものをあたえるのである。
法印は四位殿上人になる。
法眼は五位で、まず小さな大名の位階に相当する。
法橋は諸大夫に相当し、江戸時代の武家制度でいえば、勘定奉行、町奉行、駿府城代あたりで、大岡越前守と同様、芙蓉の間詰ということになる。 

☞出典:『街道をゆく』16
叡山の諸道(朝日文庫)

僧はむかしから、“方外”(世間の外)といわれた。
江戸城殿中の坊主衆(御坊主)の頭は、“私どもは世間の秩序の外の者でございます”というしるしとして剃っているのである。
芝居の黒衣に似ている。
舞台で役者が落とし物をすれば黒衣が出てきて拾うが、その存在は舞台の進行とは関係がない。
将軍の家庭である“奥”は男子禁制の場所だが、奥坊主だけは出入りして、雑用をする。
そこに居ても、いない。
奥坊主にかぎっていえば、中国やユーラシア大陸全域に存在した宦官の役割に、かすかながら似ていなくもない。
ただ奥坊主その他坊主衆が中国の宦官のように政治に口を出した例は一度もない。

☞出典:「御坊主」より

 

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