司馬さん一日一語☞『子』(こ)


女性の名で、
子とつくのは、
はじめは宮廷や公卿の
風であった。

平家物語に出てくる建礼門院は、平徳子。
文字にかくときには徳子とかくが、平素は子をはずしてよばれていたようにおもわれる。
子は、かるい尊称もしくはそれに似たものであったろう。
頼朝の妻は、お政というが、文書にかかれるときは政子である。
足利義政夫人の日野富子などもむろんそうであった。
豊臣秀吉夫人はおねねと言い、禰々とかお禰、寧子とかいたが、
秀吉がえらくなって彼女にも従一位というたいそうな宮中序列がついたとき、公卿の女性なみに子をつけ、「吉子」と公式の文書に書かれている。

この貴族の習慣が、明治後一般化されて女性の名に「子」がつくという流行をうんだ。

☞出典:『余話として』(文藝春秋)

 

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