司馬さん一日一語☞『塩』


人類は
「交易」というものを、
塩の売買によって
はじめた。

製塩地というのは、東西の古代史において、存在そのものが力をもっていた。
たとえば中国史を見る場合、乱がおこると、英雄豪傑はいちはやく岩塩の出る土地をおさえて支配力を増した、という見方がある。
人類は「交易」というものを、塩の売買によってはじめた。
アジアでもヨーロッパでも、
塩の産地は交易のために人口が多かった。
日本には、塩からい湖(鹹湖/かんこ)もなければ、岩塩もない。
ただ、まわりが海である。

多くは、海水を煮つめる方法をとっていた。
縄文以来、そうだった。
土器に海水を入れて煮つめた。

古代日本の製塩法できわだっていたのは、塩分を濃くさせるために海藻を用いたことであった。
古歌に、しきりに「藻塩焼く」ということばが出てくる。
まず、海の藻を刈る。
それを積みあげ、何度も海水をそそいでは乾かし、塩分の濃度を濃くする。

そこで竃(炉)が登場する。
そのカマドの上に大釜をすえ、大釜の上に木のワクを組み、その上に藻を積みあげるのである。
さらに藻にあらためて海水をそそぐ。
大釜はすでに赤熱しているから、注ぐつど水煙をあげる。
大釜の底には塩がたまってゆく。
竃(かま)とはカマド(ヘッツイ)のことである。
土やレンガなどで築いた火を焚く装置のことで、ガマガエルがうずくまっているようなかっこうである。
その上に釜や鍋を置く。
そしてカマドの下から薪を入れ、火をつける。
カマドと上にのっている釜とはべつなものだが、訓みがおなじだから、地名や神社の名のしおがまは、ときに塩釜と書かれたりする。

☞出典:『街道をゆく』26
嵯峨散歩、仙台・石巻(朝日文庫)

 

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