司馬さん一日一語☞『器用』(きよう)


この時代(室町後期)
人を評する上で
「器用」という
ことばがしきりに
つかわれていた

器用は、後世、その意味が衰弱したが、この時代での器用は、華や
いで実がともない、さらには清潔だという語感であり、人に対して
この上もないほめことばであった

道灌三十四のときに上洛したとき将軍義政は、当時、資長と称して
いた道灌の文雅の才を珍重し、とくに謁見をゆるした。
道灌を見て、義政は

「そなたは、つねに武蔵野にいる。その風景はどうか」
と問うた。
武蔵野とはこんにちの東京都・埼玉県の広漠たる台地をさす。
古来、武蔵野といえば都びとは、見わたすかぎりの原野、雑木と丈なす草、それに走獣、飛鳥を点景とする詩的異郷を感じてきた。
かつ、一方では、鄙の代表的な地として軽侮しもした。
道灌は義政が型どおりの先入主をもっていることをさとって、
「常に富士を見ております。このたび京にのぼり、なるほど華洛の名に恥じずと存じましたが、しかし武蔵野ほどの贅沢な景色は、いまだ都で
見及びませぬ」と、胆ふとくもいってのけた。
しかし、それだけではただの田舎者の自慢のようにきこえて聞きぐるしかろうと思い、即興の歌を詠んで、座を浄めた。

 わが庵は 松原つづき 海近く 富士の高嶺を 軒端にぞ見る
わが庵とは、道灌が築いて都にまで評判の江戸城のことである。
この豪儀さと切りかえしのあざやかさも、器用という語のひびきに
なるであろう。

☞出典:『太田道灌』から

 

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