司馬さん一日一語☞『刀剣』


室町期を通じ
数万口(ふり)
十数万口の日本刀が
船にのせられて
中国へ渡ってゆきました

日本から中国に輸出された—中国がもっともつよく需要した—ものは、刀剣であります。
室町期を通じ、数万口(ふり)、十数万口の日本刀が船にのせられて中国へ渡ってゆきました。
備前の長船村や福岡村の鍛冶が大いそがしで、これらの鍛冶村に多くの商人まであつまって一個の商業都市を形成したことは、一遍上人絵巻でよく知られるところであります。
国内需要だけでは、とても備前福岡の殷賑などなかったでありましょう。
しかし一面、奇妙であります。
中国人が日本刀を武器としてそれほどほしがったでしょうか。
なるほど明の官人で倭寇という私貿易者がもつ日本刀の切れ味を驚嘆する詩を書いた人はおりますが、それはあくまでも詩であります。

刀剣の振りまわし方というのはその民族民族の固有の体技と結びつきます。
トルコ人やアラビア人にとって彎月刀がよく、スラヴのコサックにとって槍がよく、中国人にとって鋳鉄製のあの重い厚刃の青竜刀がよいのにきまっています。
中国人が日本刀をあれほどまで欲したのは、武器としてでなく、むろん今日のような観賞用の美術品としてでもないでありましょう。
なぜなら、あれほど船につんで運ばれていながら、こんにち一口の日本刀も中国で発見されたという話をききません。
ふしぎというべきではないでしょうか。
あの室町期における日本刀の中国側の大需要は、刃物としての価値だったのではないのでしょうか。
断ち切って手斧(ちょうな)の刃にしたか、肉切り包丁にしたか、よくわかりませんが、ともかく工具になったのではなかろうかと思ったりします。

 

☞出典:『司馬遼太郎が考えたこと』9 (新潮文庫)

 

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