司馬さん一日一語☞『八幡』(はちまん)


八幡、
はちまんといい、
やはたという。
いずれも八幡神のこと
である。

この神はもっとも早い時代に仏教に習合したから「八幡大菩薩」などともよぶ。
八幡神は十二世紀には清和源氏の氏神になり、その家系の源頼朝が鎌倉幕府をひらいてから、諸国の武士たちが八幡をまつるようになって、大いに流行した。
十四世紀の倭寇もまたこの神を崇敬し、舟ごとに「八幡大菩薩」と墨書した旗をたてたから、明代の中国人は、これを八幡船(ばはんせん)とよんだ。
「しまった」という意のかっての日本語は、“南無八幡!”である。
「八幡、堪忍ならぬ」などともいう。絶対に堪忍ならぬという意味である。
「八幡掛けて」というのもある。八幡神に誓ってということで、“まったく”とか“本当に”という意味の強意とおもえばいい。
「八幡たまらぬ」ともいったりした。
八幡(やはた)の語源は、古代、この神をまつるときに、たくさんのハタ(幡)をたてたからだという。「や」とは、数多くの、という意味の古語である。
ついでながら、幡は漢音ではハン、呉音ではホンで、マンというのは慣用音である。訓でいえば「はた」になる。
さらにいうと、幡とは棹からつりさがっているノボリのことで、旗は、棹にその一辺がくっつけられているものをいう。

☞︎出典:『街道をゆく』34
大徳寺散歩、中津・宇佐のみち(朝日文庫)

 

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