司馬さん一日一語☞『倭』(わ)


倭というのは、
どういう
人間的イメージ
であるか
ということである。

日本人はもともと倭とか倭人とかよばれていたし、いまでも中国人や朝鮮人のあいだではこの言葉は生きている。
日本が中国を侵略していたころは、中国の新聞は「倭軍」などと書いていたし、韓国でも李承晩氏の反日政策時代は、新聞は日本のことを「倭」と書くことが多かった。
私はこどものころから、倭という文字も言葉も呼称も気に入っていて、ワという音で読もうが、ヤマトとかシズとかという訓で読もうが、好きだった。
一方、日本とか日本人とかいう呼称が、変に生硬で土俗性が希薄なような気がしていた。
『旧唐書』に
「倭国自ら其の名の雅ならざるを悪(にく)みて、改めて日本と為す、と」
とあるが、日本史でいう大化改新前後に、国号を日本と称するようになり、のちの官撰の国史を『日本書紀』と称するようになった。
諸橋轍次氏の『大漢和辞典』の倭の項をひくと、『説文』が参考にされていて、倭というのは「したがうさま」という意味があるとされている。
従順で、人に順(したが)うのである。
ツクリの委に意味がこめられているといえるだろう。
委は、ユダネル、シタガウ、マカセル、などの意味をふくむ。
『説文』では倭のシタガウというのを、从うという文字で当てている。
从という文字の解字は「人がふたりならんださま」である。
一人が命令者、一人が被命令者という情景を想像すれば、それが、倭とか倭人の人間的イメージになるのではないか。

倭というのは、みずから大政略や大商略を考え出すよりも、そういうものを持つ者に倭(したが)う。
倭は、会社に勤めることをよろこび、会社が大きいほどそこに大商略があるとして安心し、さらには会社のその商略をするどく戦術化することに長けている。
また会社の命令とあればたいていの艱難辛苦にも耐え、ときに寿命をちぢめても後悔しない。
「倭賊は勇敢で、甚だしきは生死を別(わか)たない。戦うごとに赤体、三尺の剣を提(ひつさ)げて舞い進み、これを能く防ぐ者がない」
という明国の文章(『明史紀事本末』)はこんにちもなお通用するといっていい。
倭には、類のない小気味よさというものがあるであろう。
それは小思慮に長じ、その小思慮の中で命をなげうつという飛躍をするところだが、同時に、小思慮しか持たないために大思慮を他に求め、その大思慮に身を寄せることにえもいえぬ昂奮を覚えるというところがあって、
そのあたり匂いたつらしい。


☞出典:『歴史の舞台』(中央公論社)

 

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