司馬さん一日一語☞『丹前』(たんぜん)


丹後守屋敷の前
ということで、
この風俗営業のことを
略して、丹前とか
丹前風呂とかよんだ。

神田佐柄木町や雉子町のつづきに、堀丹後守という小さな大名の屋敷があって、その付近に風呂屋が多くできた。
店ごとに湯女を多数おいて垢掻きをさせる一方、売春もさせて、江戸の都市風俗の一拠点になった。
この土地のあたりが丹後守屋敷の前ということで、この風俗営業のことを略して、丹前とか丹前風呂とかよんだ。
その風呂屋に通う客たちのなかでもとくに町奴たちがカネにあかした伊達姿をきそったが、その姿を丹前姿といい、やがて転じてどてらの別称になるものの、そこまで転化するのはのちの世のことである。
堀家といえば、織田信長の武将のひとりで、“名人久太郎”とよばれた武略家堀秀政の傍流にあたる。
この家は豊臣期に栄え、徳川期には小さくなった。
要するに治乱のなかで消長した武勇の家だが、いまは(寛永年間)丹前という遊蕩の場の語源になりはてている。

☞出典:︎『韃靼疾風録』(中公文庫)

 

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