司馬さん一日一語☞『サビエ』


匈奴の服装で
象徴的なのは、
サビエです。

サビエとはバックルのことです。
当時(紀元前の戦国時代)趙の武霊王がちょうど匈奴に接触する場所にいて、匈奴から圧迫を受けていた。
とてもあの連中にはかなわないから、われわれ自身が匈奴の格好をしようとズボンをはき、上着を着てベルトをしめた。
そして匈奴の象徴であったバックルをつけます。
武霊王のことを書いた『史記』の用語によりますと、このバックルは帯鉤(たいこう)といいます。

匈奴は、いろんな便利な道具をもっていました。
動物の骨を板のように薄く削って、それをいく枚もはり合わせ、動物の腱で縛って弓としました。
弓はわりあい短いんです。矢も短い。それに毒を塗ります。
この矢尻はもともとは骨だったのでしょうが、早くから匈奴は青銅をつかいました。
しかし青銅では弱いですから、毒を塗ったんです。
獣を射るために使うのですが、人間を射るときにも、少しでも相手の戦闘力を削ぐように、これを使って、相手をしびれさせます。
それも、馬上から槍や剣で突くのではなくて、接近して射るわけですから、かないません。

武霊王が趙国を胡服騎射にしました。胡服(こふく)というのは、われわれのいまいう洋服です。
レインコートを着て、ズボンをはく、これが胡服です。それにベルトをしめます。射は馬に乗って弓矢を射ることです。
これが中国、漢民族の戦闘形式になっていきます。
武霊王が、胡服騎射の軍隊にするまで、中国では戦車戦でした。
ともかく武霊王はそれまでの文化を捨て、胡服と騎射に方向転換して—つまり、異民族の文化をとり入れて—自国を存立させました。
どこか明治の日本に似ています。

 

☞出典:「歴史と風土」(文春文庫)

 

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