司馬さん一日一語☞『イネ』


イネという言葉は、
かって
百越(ひゃくえつ)と
よばれた
古代タイ語族系の末裔的
な言語である
中国南部の汕頭(スワトー)音の
イネから
出ているといわれます。

さらには中国で稲が栽培されはじめたのは
紀元前三〇〇〇年にさかのぼるべきだという説があります。
いずれにしても途方もなく古代ですが、
日本に稲が入ってきて弥生式文化がはじまったのはじつにあたらしく、
紀元前からわずかに数百年さかのぼれるかのぼれないかに
すぎません。

☞︎(「砂鉄がつくった歴史の性格」から)
…………………………………………………………………………………………

稲作が入ってきたのは、
ご存知のように、紀元前、そのちょっと前らしい。
どこから入ってきたかというと、
揚子江のみ南のほうからきたらしい。
揚子江の南には越人がいたわけで、これは漢民族ではない。
北方の黄河の地域で発生した民族が漢民族だとすれば、
揚子江以南の人間は、少なくとも高祖が項羽を滅ぼすまでは異民族だった、というべきでしょう。
われわれと似た顔をし、背も小さくて、とにかく日本人とよく似ています。
その連中は、いまのインドシナ半島あたり、あるいは
インドの北のあたりで発見されたらしい稲作の技術を持って、

揚子江以南まではびこっていたようです。
五月のころにメコンデルタ、
あるいは揚子江付近が長雨で泥になってしまう。

そこへ、ぽんぽんと稲を植えておけば、それで実るわけです。

こんなに便利なものはない。
たれが発見してくれたのかわかりませんが、
こんなにたくさんの人間が食べていける食べ方はほかにない。
人間が一町歩当りどのくらい暮らせるかというと、
稲作なら五人は暮らせるのに対して、半農半牧のヨーロッパ式の暮らしでは、一人でも食ってゆけないというようなことであります。
これに比べれば、稲の適地である日本は、弥生式以来、
本当にありがたい思いをしているわけであります。

出典:『古今往来』(日本書籍)

 

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