司馬さん一日一語☞『どこの馬の骨』


「どこの馬の骨」
ということばは、
日本語のなかでも
ユーモアの滋養を
たっぷりふくんだ、
数少ない佳い言葉
のなかに
入るのではないか。

「広辞苑」をひくと、—素性のわからぬ人を罵っていう称
とあり、元禄太平記の「よしよしいづくの馬の骨にもせよ」という例がひかれている。
徳川大名の先祖は、たいてい戦国に現れてくる。
その連中の出自をしらべてみると、そのほとんどがどこの馬の骨だかわからない。
これが明治のとき華族になって公侯伯子男になったのだから、要するに日本の華族というのは、モトはどこの馬の骨かわからないのである。
日本史のユーモアは、そういうところにある。
しかし蜂須賀侯爵家は、気の毒であった。
この阿波の国王、明治後の侯爵家の苦のたねは、先祖がどこの馬の骨だかわからないということでなく(むしろそのほうがよかった)、「真書太閤記」や「絵本太閤記」などの諸本によって、その始祖蜂須賀小六(彦右衛門正勝)が泥棒の頭目だったように語られていることなのである。

☞出典:『余話として』(文藝春秋)

 

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