司馬さん一日一語☞『おきゃん』


とくに
深川芸者の
心意気を
あらわすことば
として
多用された。


「辰巳芸者」。

江戸の代表的遊里である吉原が北里とよばれるのに対し、
南東(たつみ)とよばれたところから出たらしい。
江戸時代、羽織は男しか着ないものであったのを、深川芸者は女ながらも羽織を着たから、“羽織芸者”ともよばれた。
一種の男装だった。
その男装にふさわしく、その気風は勇肌で、
「きゃん」とよばれた。
侠のことである。

キャンというのは福建音かとおもわれるが、おそらく長崎で通商す
る清国商人が、
長崎丸山の遊郭あたりで、勇肌の芸者をそのように
よんだところから帰化したことばにちがいない。

江戸で定着し、とくに深川芸者の
心意気をあらわす
ことばとして多用された。
きゃんは、はじめ男女いずれにも通用することばだったようだが、
江戸中期の安永年間(1772〜81)
ごろから、
男については、「いなせ」といった。
おんなについては、
接頭語の“お”をつけて、
おきゃんとよぶようになった。
“お”がつくと、いかにも娘らしくて、気っぷがそのまま色気と背中
あわせになっているように響く。
むろん下町にかぎられた形容である。

明治になってもこのことばは生きていて、『日本国語大辞典』の「おきゃん」の項には、樋口一葉の『たけくらべ』での使用例が出ている。
 今にお侠の本性は現れまする。
おきゃんは、ヅケヅケと物をいうものの、自分の利益とは無縁で、
相手の立場を思いやるあまりの率直な言動と解していい。
ただし一葉におけるこの用例の場合は、“いまに下町育ちの地金が出
るよ”という程度の、
かるい否定的発想から出ている。
夏目漱石の『坊ちゃん』にも、用例がある。
江戸っ子の“坊ちゃん”が、伊予松山という“大田舎”で悪戦苦闘する
はなしながら、
教頭の赤シャツらのあこがれる“マドンナ”嬢が、存外おきゃんじゃないか、というのである。
「マドンナも余っ程気の知れないおきゃんだ。」

☞出典:『︎街道をゆく』36
本所深川散歩・神田界隈(朝日文庫)

 

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