司馬さん一日一語☞『山』


平安期には、
「山」といえば、
叡山のことであった。

むろんこの場合は地理学上の地塊をいわず、地上の王権からときに独立する気勢を示すかのような宗教的権威を指し、かつは平安貴族の死生観や日常の感情に思想的な繊維質を提供しつづけた思想上の深叢のことをいう。
さらにいえば、権威を神輿にし、武装の徒をやしない、増上慢のかぎりをつくしたふしぎな世外権力のことをふくめる。
叡山は高山ではない。南北に峰をつらねる土塁形の山である。
琵琶湖側と京都側とでは、山容がまったくちがう。
西斜面である京都から見た叡山は、四明岳で代表されているため、独立した山容のようにみえる。
それに草木がすくなく、山の地肌が赤っぽく透けてみえる。
冬のつよい西風がもろにあたるせいと、東斜面にくらべて水を生みだす量がすくないからでもあるらしい。
これにくらべ、東斜面は緑のビロード地のたっぷりした裳裾を襞多くひいたようにして、ゆるやかに湖水にむかって傾いている。
樹叢のゆたかさはどうであろう。幾筋もの山脚のこころよい勾配、尾根と谷とがたがいに戯れるように組みあわされて、冬の西風から樹をまもり、かつは林間の僧房をまもっている。
それに泉や谷川が多く、まことにいのちの山という感が深い。

☞出典:『歴史のなかの邂逅』1(中央公論新社)

 

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